順を追って説明しますと、第二次世界大戦の戦勝国がドイツに対して懲罰を加えるために協議した結果、米英仏ソの4カ国が1945年8月8日にロンドンで国際軍事裁判所憲章(ニュルンベルク憲章)に調印し、その中で以下のように戦争犯罪を定義しました。

第6条

a項-平和に対する罪
侵略戦争あるいは国際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画、準備、開始、あるいは遂行、またこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画あるいは共同謀議への関与。

b項-戦争犯罪
戦争の法規または慣例の違反。この違反は、占領地所属あるいは占領地内の一般人民の殺害、虐待、奴隷労働その他の目的のための移送、俘虜(ふりょ)または海上における人民の殺害あるいは虐待、人質の殺害、公私の財産の略奪、都市町村の恣意(しい)的な破壊または軍事的必要により正当化されない荒廃化を含む。ただし、これらは限定されない。

c項-人道に対する罪
犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、あるいはこれに関連して行われた、戦争前あるいは戦争中にすべての一般人民に対して行われた殺害、せん滅、奴隷化、移送およびその他の非人道的行為、もしくは政治的、人種的または宗教的理由にもとづく迫害行為。

 これが、そのまま極東軍事裁判に適用され、マスコミなどが「項」を「級」に代えて用いるようになったといわれています。つまり、戦勝国がつくった罪の定義をマスコミが呼びやすいように作り出した造語でA、B、Cというのは罪の重さをランク付けしたものではなく、簡単に言えば

A級 侵略戦争を始める罪
B級 従来定義されていた戦争犯罪
C級 ホロコーストなどの非人道的な罪

という区分けにすぎません。

 しかもc項に関しては、第一次世界大戦終了後に適用が検討されましたが、国際裁判自体が否定され、ドイツ国内で形式的な裁判が行われただけで、第二次世界大戦が終わるまで厳罰に処された人間はいませんでした。a項に至っては、この時初めて定義されたものであり「いわゆるA級戦犯」の方々が罪として裁かれた行為を行った時点では違法行為でも何でもなかったのです。
極東国際軍事裁判が東條英機元首相以下、25被告に判決を下す日の法廷全景=昭和23年11月4日
極東国際軍事裁判が東條英機元首相以下、25被告に判決を下す日の法廷全景=昭和23年11月4日
 そもそも戦争を始めることが罪になるのであれば、ドイツに対して一方的に宣戦布告し第二次世界大戦を始めたイギリスとフランス、日本に対して先に宣戦布告したオランダは、なぜ罰せられないのでしょうか。