「裁判を受諾する」というのは裁判そのものを認めることですが、それに対して「判決を受諾する」というのは裁判全体を認めることではなく判決のみを認めるということで、たとえ身に覚えのない犯罪容疑でも有罪判決が下され、それが確定してしまえば法治国家に住む以上、判決に不服だとしてもそれに従わねばなりませんが「冤罪(えんざい)だ。自分は無実だ」と訴えるのは自由だということです。

 だいたい「いわゆるA級戦犯」を裁いた極東軍事裁判は

・裁判の根拠法令が極東国際軍事裁判所条例という国際法を無視したマッカーサーの命令
・恣意(しい)的な被告の選定(満州事変の首謀者石原莞爾は逮捕すらされていない)
・事後法による法の不遡及(ふそきゅう)の原則に反している(前述)
・法の公平性に反している(戦勝国の原爆投下や無差別爆撃などの民間人大量虐殺は不問)
・裁判官11人全員が戦勝国の出身(中立国出身の人すらいなかった)
・裁判官の出身国、英仏蘭は裁判中もアジアを再侵略していた
・同じくソ連は国際法に違反して多くの日本人をシベリアなどに強制連行強制労働
・11人のうち法律家は2人(国際法の専門家はインドのパール判事のみ)
・裁判長が事件の告発に関与(ウェッブ裁判長は日本軍の不法行為を自国に報告)
・ポツダム宣言違反(宣言の範囲外の行為を裁いた)
・被告側の証拠のほとんどを採用しない一方で、検察側のでっち上げの証拠を採用
・結果、ありもしなかった共同謀議や南京大虐殺という虚構を認定

 というようなもので、とても裁判の名に値するものではありませんでしたが、当時の日本は敗戦国ゆえに抗弁することができなかったのです。

 仮に彼らが本当の戦争犯罪人だったとしても、従来の国際法に従えば戦争犯罪というのは講和条約発効時に無効になり、獄中にいる戦争犯罪人は釈放されるのですが、サンフランシスコ平和条約発効時に限り、そうさせないように作られたのが、この11条の条文なのです。

 つまり、この条文は連合国の復讐(ふくしゅう)心を満たすため、あえて従来の国際法の趣旨に反して懲罰的な意味を込め、講和条約発効後も日本独自の判断で受刑者を放免してはならないという趣旨を盛り込んだもので、軍事裁判を認めるとか認めないとかという意味合いのもではないのです。
極東国際軍事裁判の際、戦犯容疑者が多数勾留された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)=昭和27年8月2日(産経新聞社機から撮影)
極東国際軍事裁判の際、戦犯容疑者が多数勾留された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)=昭和27年8月2日(産経新聞社機から撮影)
 連合国が、それほどまでして許さなかった、いわゆる戦争犯罪人ですが、当時、大多数の日本人は彼らのことを犯罪者であると思っていませんでした。まず日本が主権を回復したサンフランシスコ平和条約発効直後の1952年5月1日、当時の木村篤太郎法務総裁により戦争犯罪人の国内法上の解釈についての変更通達が出されました。

 そして、戦争犯罪人として拘禁されていた間に亡くなられた方々すべてが公務死として扱われるようになったことを皮切りに、全国各地で戦争犯罪人として扱われている人たちの助命、減刑、内地送還を嘆願する署名運動が始まりました。