日本弁護士連合会も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出するなど、運動は盛り上がりを見せ、それに呼応して国会でも次々と社会党や共産党を含む全会一致で戦犯受刑者の釈放に関する決議などがなされ、1953年には遺族援護法が改正され拘禁中に亡くなられた方々の遺族に弔慰金と年金が支給されるようになりました。

 つまり、彼らの死は戦死であると国権の最高機関である国会が正式に認めたのです。署名は最終的に当時の全人口8千万人の半数である4千万人に達し、これに後押しされた日本政府はサンフランシスコ平和条約第11条にもとづき関係11カ国に働きかけ、その結果、1958年には戦争犯罪人として勾留されていた、すべての方々が赦免されたのです。

 このような当時の日本人の戦争犯罪人と呼ばれた人たちへの熱い思いを知らない世代の日本人が、今になって「A級戦犯が~」と息巻いているのを見ると、日韓併合時代を直接知っている人間より知らない世代の方が、反日感情が強い韓国と重なり、情けない思いになります。

 近代法では刑罰の終了をもって受刑者の罪は消滅するというのが理念ですから、百歩譲って仮に彼らが本当の戦争犯罪人であったとしても、この時点から日本には死者を含めて戦争犯罪人と呼ばれる人は一人もいないのです。それは、以下のいわゆるA級戦犯のリストを見ていただければ、よくわかるかと思います。

 ほかにも、下記のように逮捕勾留されたものの不起訴になった、戦後の日本を牽引してきた方々もおられます。

帝国石油社長 鮎川義介
首相 岸信介
日本船舶振興会会長 笹川良一
読売新聞社社長 正力松太郎
朝日新聞社副社長 緒方竹虎

 そして、この流れの延長線上で1959年に「いわゆるBC級戦犯」が、1966年に「いわゆるA級戦犯」が靖国神社に合祀されたのであり、それをもって軍国主義復活などとは誤解曲解も甚だしい話なのです。