過去には、女性カップルが単身者として同時に里親認定を受けたような例があると聞いているが、今回は自治体がアナウンスし、同性カップルである二人を一つの「世帯」として認定したことが大きなインパクトとなったと感じている。今回、同性カップルが里親認定を受け、子どもを委託されたことは「法律上可能なことが当たり前に可能になった」ということである。

 大阪市の吉村洋文市長の言うように「(こうしたことが)ニュースにならないのが在るべき社会だと思う」という言葉が印象的で、「当たり前」に近づく一歩だと感じた。

 一方で、ネット上には否定的な意見も見られた。

 その一つが「里親制度は子どもの制度。子どもがほしい大人の制度ではない。勘違いしないでほしい」「子どもがほしい大人のエゴだ」といった意見だ。誰に対して「勘違いするな」なのか不明だが、里親制度は子どもたちのための制度であることは間違いない。今回の里親当事者も「『子どもがほしい』大人のための制度ではなく、子どものために『育つ家庭』を用意する、子ども中心の制度です」と述べている。

 ただ、現実的に「里親になりたい」大人=「子どもがほしい」大人であることが多いのは事実だ。私のところにも「子どもがほしいんです」という同性カップルの問い合わせが入ることがある(まずは制度を知ってほしいので、社会的養護に関するサイトを紹介したり、勉強会の案内を送るようにしている)。

 私は、そういった「子どもがほしい」という動機について、「エゴだ!」と毛嫌いしなくてもいいのではないかと感じている。なぜなら、「子どもがほしい」ということを入り口として、そこから里親制度、社会的養護の現実について学んでいく人が多いからだ。実際に、自治体が行う「里親説明会」に参加する人の大半は「不妊治療をしていたが子どもを授からなかった夫婦」である。テレビ番組で取り上げられる里親も、「子どもができなかったので」というのが最初の動機であると語っていることが多い。

 そうした動機で制度に興味を持った大人たちが、里親研修を受け、認定をめざすことになるのだが、里親に認定されるまでの道のりはとても長い。座学の研修、施設の見学や実習、面談などを経て、最後に児童福祉審議会において、その人が里親として適切かどうかが審議される。仕事の休みをやりくりしながら研修に参加する場合、およそ1年の歳月がかかる。

 たとえ「子どもがほしい大人のための里親制度」と「勘違い」していた大人がいても、研修の中で「子どものための制度」ということを何度も教えられる。早い段階で「考えていた制度と違った」と、あきらめる人もいれば、社会的養護の現実を知ったうえで「ぜひ子どもたちのために里親になりたい」と考えを変える人もいる。ゆえに、私はことさら「子どものための制度ということを知っているのか」と目くじらを立てる必要はないと思っている。

 さらに、報道の反応を見ながら感じたことは、「異性カップルの里親」と「同性カップルの里親」に対しての反応が不均衡だということだ。前述の通り、夫婦で里親の人が「不妊治療で授からず子どもがほしくて」と言ったところで、世間から「エゴだ」「勘違いするな」と言葉を浴びせられることはほとんどない。一方で、同性カップルとなると、途端にそういった言葉が飛び交う。私はそんな現実に対して、「それこそが差別的なのでは」と首をかしげる思いだった。