ここで、「いじめ」の本質から「同性カップルの子どもはいじめられるからかわいそう」という意見について考えてみたい。

 いじめというのは「マイノリティー性をあげつらう行為」だ。実際に、児童養護施設の子どもや、里親家庭の子どもがいじめにあっているという声を聞く。集団でいじめが行われるとき、子どもたちはそのターゲットの子どものマイノリティー性を見つけ出す。それは「めがね」でも、「デブ」でも、「金持ち」でも、「貧乏」でもいい。いじめのターゲットとなったマイノリティー性は、なんでも「からかい」の言葉に変わりうるのだ。そうだとすると、「●●だといじめられるよ」という言葉自体がいじめに近い言葉なのではないだろうか。「かわいそう」と言い放つ前に、自分自身が誰かのマイノリティー性をあげつらっているのではないか立ち止まって考えてほしい。

 私は以前、知人から「同性カップルの里子なんてかわいそうだ。そんな人に育てられるよりも施設で暮らせばいい」と言われたことがある。施設がどういうところか知っているかと聞くと「知らない」と彼女は言った。性的マイノリティーの人に会ったことがあるかと聞くと「会ったことがない」と返ってきた。「AよりもB」と述べる人が「AもBも知らない」と答える姿に私は驚愕した。結局、「かわいそう」と言い放つ人は、子どもたちの状況を何も知らず、知ろうともしていないのではないだろうか。今回の報道を聞いて「かわいそう」と言う人は、ぜひ社会的養護についてもっと関心を持ってほしい。報道のような養育里親だけでなく、季節里親、週末里親、児童養護施設ボランティアなど、大人が子どもと関わる方法はたくさんある。ネット上に「かわいそう」と書き込んだ後、今回の報道を忘れずに、ぜひ社会的養護への関心を深めてほしいと私は願っている。

 また、RFCの活動を続ける中で、さまざまな政治家と話をして、非常に興味深いと思ったことがある。それは、今回の報道に関して、政治家のイデオロギー面での思想と、同性カップルの里親認定に対する賛否が一致しなかったことだ。つまり、「保守=同性里親反対」「リベラル=同性里親賛成」というような形では、意見がわかれなかったのだ。

 今回の塩崎恭久厚労相の発言のように「子どものための家庭を増やすことだからいいことだ」と応援してくれる保守層の方もいれば、「実現性も低ければ、優先順位も低い」と相手にしてくれないリベラル層の方もいた。

塩崎恭久厚労相=4月7日、国会(斎藤良雄撮影)
塩崎恭久厚労相=4月7日、国会(斎藤良雄撮影)
 今回の報道に関して、塩崎氏は「同性カップルでも男女のカップルでも、子どもが安定した家庭でしっかり育つことが大事で、それが達成されれば、われわれとしてはありがたい」と述べている。

 私は常に「子どもたちのため、一つでも多くの里親家庭を増やそうとしている中で、マイノリティーへの無理解や偏見がその妨げになっている。そのような構造を変えたい」と訴えてきた。

 今回の報道に関し、ネット上では「子どものためならいいがLGBTの人権推進なら反対」という意見も見かけたが、そのような「どちらの人権の問題なのか?」といった無意味な議論を行うのはやめにしよう。

 「マイノリティーへの偏見に固執しているうちに、他の誰かのチャンスを摘み取ること」は、「同性カップルと里親」の問題以外にも起こりうることではないだろうか。今一度、社会の課題を振り返り、同じような問題が起こっていないか、皆で考えるきっかけにしてほしいと私は願っている。