筆者は最近、『週刊SPA!』の企画した「女性の専売特許を男性が体験する」特集に論者として参加した。子供の弁当を夫が作って幼稚園の送り迎えをしたり、結婚式で新婦が花束を投げる代わりに、新郎が友人男性に向かって投げる「ブロッコリー・トス」を行うことが日常風景となりつつある現代において、これまで女性だけに限定されてきた性役割を男性が「体験」することは、自分とは違う他者を発見し、理解する上で重要な経験であるに違いないと考える。
 しかし、里親制度に関して言えることは、命を預かり育てるという大変重要な役目を担うわけで、「体験」することとはわけが違う。ペットの里親になることですら身辺調査や住宅訪問などさまざまな適性審査がある今日、人間の子供を育てる里親制度の審査基準が厳しく設けられることはあって然るべきである。

 ただ、同性カップルであるという理由だけで審査基準を厳しくすることは絶対あってはならない。日本は先進国でありながら6人に1人の子どもが貧困や教育格差という現実に直面している。そんな中、里親資格を異性か同性かだけで、てんびんにかけている場合ではないことを、少子高齢社会に生きるわれわれ国民は自覚する必要があるのだ。

 ここまで話してきたように、男性同性カップルの在り方を描いた映画作品や、そういった作品を目にすることで固定概念から解放された場所で彼らを優しく見守ることのできる若者が増える現代、「弱者」が「強者」よりも柔軟で多様性に富んでいることが可視化される動きはより一層広がりを増すに違いない。著書『フラジャイル―弱さからの出発』の中で編集者の松岡正剛氏が示唆しているように、権力を行使する「強者」はその権力を奪い取られることに恐れているだけのつまらない存在で、そんな強者たちからもろく生きることを強いられた「弱者」のほうがとてつもない力、未来の社会を変える力を内に秘めていると信じたい。

 数週間前、書店で偶然目に留まり購入したマンガ本がある。鈴木有布子(作画)と北川恵海(原作)の作品『ちょっと今から仕事やめてくる』だ。日々の仕事に疲れ果てた新卒サラリーマンの青年は、駅のホームから身を投げて投身自殺を図ろうとするが、自分を理解してくれる同性の親友に命を救われ、最後は周囲からの批判を恐れることなく会社に自ら辞表を出す。

 男性同性カップルであるがゆえに理不尽な批判を受ける方々には、批判を受けることはむしろ自分たちの存在を社会に示す好機であると考えてほしい。「批判を恐れていても何も先に進まない」。そう自分に言い聞かせながら、私は私で男性の新しい生き方を模索し続けたい。