まず、森友学園疑惑については、約8億円の値引きが合理的な根拠のないものであるとすれば、相当重い責任が伴うべきだと思うが、ただし、昭恵夫人の関与はある程度立証できても、総理自身の関与となるとこれを立証するのは、役人が口を割らない以上難しいとも思われる。

 それに、仮に総理が直接財務省の幹部に口をきいた事実があったとして、そしてその幹部がそうであったと証言したとしても、総理自身がそれを否定するならば、言った言わないの話になってしまう。

 一方、加計学園疑惑については、総理の関与を立証するのは、上に挙げた証拠でそれほど困難なことではないと思われるものの、それまで新設が認められていなかった獣医学部の新設を認めることに総理が熱心であったのが事実だとして、それが即、なぜ問題になるのかという疑問も生じる。

 つまり、獣医学部の新設を認めること自体の適不適の問題があるにしても、それ自体が即、違法とは言えないからである。従って、総理に責任があるとすれば、それは加計学園のみを有利に扱ったという証拠が存在しなければならない。
加計学園が獣医学部を新設する予定の建設現場=愛媛県今治市
加計学園が獣医学部を新設する予定の建設現場=愛媛県今治市
 そして、それに関しては、上の証拠だけでは十分でないかもしれない。もう少し積極的に加計学園だけを贔屓(ひいき)していたという証拠が必要かもしれないということだが、ただ全体として眺めれば、多くの国民は「クロ」だと判定することになるだろう。それが常識的感覚である。

 そもそも森友学園疑惑のときから言われていたことだが、仮に総理が関与していたとして、総理がもしそれが事実なら辞職するなんてことを言わなければよかったという指摘がある。

 私も、それはその通りだと思う。というのも、官庁であれ、民間企業であれ、偉い人の意向をある程度尊重するのは当然みたいなところがあるからだ。社長はそう考えているのだから、大臣はそう考えているのだから、だったら総理がどう考えているかを考慮というか、忖度しても不思議ではないといえる。

 しかし、総理は自分や妻は全く関与していないと言い切ってしまった。加計学園についても同じだ。関与していないし、もし関与しているのが明らかになれば責任を取る、と。
 
 だが、昭恵夫人が森友学園の小学校の名誉校長に就任していたのは事実だし、また夫人付きの職員を通じて森友学園の代わりに財務省に照会や要望を出していたのも事実なのだから、全く関与してないと言うのはどう考えても無理である。

 加計学園疑惑に関しては、明らかにされた文科省の内部文書の存在についても、そんなものが存在するかもしれない、あるいは自分の意向を内閣府の事務方が文科省に伝えたということがあったかもしれない、という対応もあり得たと思う。獣医学部の新設に自分が熱心であったとして、それのどこが問題なのかという反論がとりあえず可能であったからだ。

 しかし、早い段階で自分は一切関与していないと断言してしまったものだから、後の対応の選択肢が狭められてしまった。そして、そのことがさらなる虚偽の答弁を誘発してしまったのである。
 
 官邸は文科省の内部文書の存在を全く否定した。文科省にしても、存在は確認できていないと言葉を濁す。

 要するに、総理が格好をつけるから、つまりうそを言うからさらにうそを誘発するという構図になっているのである(仮に総理がうそをついていたとしての話)。そうなると、うそばかりの答弁になり、国民は全く納得がいかなくなってしまう。