ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。1)多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい、2)多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる、3)反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい、4)反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。

 そして意見の集約するところで、言論をめぐる人々の満足が最大化することになる。もちろん意見の集約がたとえ達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので自粛すべきなのはもちろんである。

 もちろんミルは異なる立場での意見の集約について常に楽観的ではない。言論の自由がかえって意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的・法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねている。

 どちらの立場で主張している人であれ、公平さが欠けているか、悪意や頑迷さ、不寛容の感情をあらわにした態度で自説を主張する人を批判する。だが、自分とは反対の意見を持っている人に対して、その立場を根拠として、これらの態度を捨てるはずだと予想することはない。

 寛容と賢慮。なかなか難しいものだし、また正解や公式があるわけでもない。筆者も常に失敗を重ねている問題だ。だが、少なくとも今回の百田氏のケースは彼に発言の機会を与え、さらに学生たちはその発言の内容を知るべきだったと残念に思っている。