しかし、女性宮家の創設に慎重な意見を持つ人々もいる。女性宮家創設が、将来の女系天皇の容認につながると懸念しているのである。天皇の地位や役割は世襲のものであり、皇室の長い伝統の中で女系、つまり母親は天皇の子でも、父親が天皇の血筋にないものの子の継承はなかった。
皇居を出られる秋篠宮ご夫妻、眞子さま、悠仁さま=5月21日午後、皇居・乾門
皇居を出られる秋篠宮ご夫妻、眞子さま、悠仁さま=5月21日午後、皇居・乾門
 神武天皇以来、125代連綿と続いた伝統が天皇家への崇敬への源であり、今後もその伝統を継承することが重要である。125代の天皇の中には何人かの女性天皇も存在したが、そのすべてが男系の子であり、その男系を今後も保持していくのが天皇家の長い伝統を保持するための大事な要素であるというのである。

 そして、われわれの代に、古来の伝統を安易に変えていいものだろうかという配慮がその背景にある。

 一方、現実には近代以降、男系継承は常に危険な綱渡りであった。明治天皇は正室に実子がなく、5人の側室との間に5人の男子と10人の女子をもうけた。そのうち成人したのは1人の男子と4人の女子であった。

 成人した1人の男子も心身の状態が十分ではなく、その先の男子継承に大きな不安が残った。その男子がのちの大正天皇である。そのため、当初の婚約を破棄して、男子出産のための健全な母体として別の妃が求められ、結果として4人の男子が生まれて、男系の皇位は安定した。

 ところが、次の昭和天皇には当初、女子しか生まれず、男系継承をめぐりさまざまな議論や策謀がなされた。昭和天皇は側室制度を廃止しており、皇后以外の子を求めなかった。そのため弟宮の継承や養子相続などの案も噴出した。昭和8年になって現在の陛下が生まれ、この問題は解消した。このとき多くの関係者や国民は大いに安堵(あんど)した。

 現在の陛下は皇太子時代に2人の男子をもうけられ、男系継承の議論はあえて意識されることなく続いた。この2人の男子は、皇位を継承する長男と、継承とは無縁の次男として育ち、長男は婚期が遅かったが、次男は早々に結婚し、だれもが男系男子の不在が訪れるなど意識せずに過ごしていた。

 結局、兄宮の唯一のお子さまが女子であり、弟宮の秋篠宮殿下の2人のお子さまも女子、そのほかの宮家の方々の家でも男子が生まれないという状態となった。かつてのような側室制度がなくなった現代では、後継者たる男子の出産確率はかなり低くなったのであるが、側室制度を復活するわけにもいかなかった。