とはいえ、百田氏のツイッター等の言によれば、主催者に対して講演会中止を求めるかなり「強力な圧力」があったようです。中には、暗に当日、物理的に妨害するとほのめかす脅迫ともとれるようなものもあったそうで、安全が脅かされると主催者が心配したのも無理はありません。加えて、度重なる嫌がらせなどによって、学生たちが精神的に疲弊してしまったことも中止に至る背景にはあったのでしょう。

 それに対して「学生は根性がない」と言う人もいるようですが、誰がどのような形で圧力をかけたり嫌がらせをしたりしたのかを知る術のない私には、主催者の根性がいかほどであったのかは判断のしようがありません。ただ、結果を見れば、彼らが当初の意思を曲げて中止を決断せねばならないほどの重圧を受けていたことは確かであり、それが不当なものであったことは過去の例から想像に難くありません。

最近、不当な圧力により中止になった催し物

百田尚樹サイン会(厳重警備のもと決行)
はすみとしこサイン会
桜井誠早稲田祭
千葉麗子サイン会(敬称略)

 この例を見ていただいてわかるように、これらは一般に開かれた催し物ですから誰でも自由に参加できるはずです。もし、この人たちの意見が気に入らないのであれば、自分も催し物に参加し相手の意見を十分に聞いた上で公開の場で質問するなど、言論で戦えば良いだけの話です。ところが、彼らは自分が相手に議論で敵わないことを知っているのか、言論以外の暴力的な方法で圧力をかけて催し物を中止に追い込み言論を封殺してきました。

2016年3月、兵庫県警の捜査員らが警戒に当たる中、作家の百田尚樹氏(中央)によるサイン会が開かれた=兵庫県西宮市(小松大騎撮影)
 彼らの手法は、まず自分たちの独断と偏見で「弱者」と「強者」、「被害者」と「加害者」などに社会を二分して対立を煽り、自分たちは「弱者」や「被害者」という批判を受けにくい立場に立ちます。一方で彼らは、対立する相手に「レイシスト」などという誰もが嫌悪感を抱くようなレッテルを張り、弱者や被害者は強者や加害者に対して何をしても許されるという自分たちが勝手に作ったルールにのっとり、相手に議論や反論を許さず一方的に罵倒し、それを執拗に繰り返します。これにマスコミが同調すると、さらに手がつけられなくなり、何を言っても無駄な状態になってしまいます。

 そうやって今まで何人もの政治家が餌食になりました。このように相手には容赦のない人たちですが、相手が少しでも反撃してくると「差別だ」と大騒ぎして自分たちの陣地に立てこもり、知らん顔をします。本当に、あきれるくらい卑怯な人たちです。

 最近はインターネットの普及により情勢が変わりつつありますが、今まで、このような攻撃が自分たちに向くことを恐れたマスコミが真実を報じなかったため、多くの国民が知らないまま、この方法でどれだけ正論が封じられてきたことか分かりません。

 彼らに共通するのは「弱者は強者に何をしても良いが、強者が弱者に力を使うのは許せない」という考え方です。そういう考え方が根底にあるので「言論弾圧というものは権力者が一般国民に対して行うものだから、今回はそれにあたらない」という言い訳が出てくるのです。確かに「弾圧」という言葉は権力で押さえつけるという意味ですが、彼らも他人を力で屈服させることができる権力者ではありませんか。そういうと「権力とは…」という話になり、どんどん話が本筋からそれていくので、この辺りでやめておきますが、問題は言葉の定義ではなく、相手の言論を力で封じ込めることの是非です。