世の中で宗教のことが話題になるとき、その対象は新宗教であることが多い。女優の清水富美加が出家したというときにも、出家先は新宗教の幸福の科学だった。

 新宗教はかつて「新興宗教」と呼ばれることが多く、そこには布教に熱心で、信仰に凝り固まっているというイメージが伴った。特に、高度経済成長の時代に創価学会や立正佼成会などの日蓮系の教団やパーフェクトリバティー(PL)教団が急成長したときにはそうだった。

 そこから、新宗教に対する警戒心が生まれ、自分に信仰があると答えれば、そうした新宗教の信者だと思われるのではないかという意識が生まれた。そこで、聞かれれば無宗教と答えるようになった。そうした面がある。

 その点で、日本人の無宗教というとらえ方には、自分は怪しげな新宗教の信者ではないというニュアンスが強くこめられている。
女優・清水富美加 =東京・港区 (撮影・高橋朋彦)【撮影日:2016年9月22日】
女優・清水富美加=2016年9月22日東京・港区
(撮影・高橋朋彦)


 しかし、日本人は無宗教と言いながら、日常的に宗教の世界と深くかかわっている。初詣には大勢の日本人が出掛け、そのなかにはかなりの数の若者が含まれている。葬式離れは進んでいるものの、仏教式で葬られる人はまだ少なくない。

 それが真宗地帯ともなれば、「門徒(浄土真宗の信者のこと)」としての自覚は失われていない。四国地方などは、真宗地帯に属する各県に比べれば信仰率は低いが、それは、この地域で根強い真言宗と深くかかわりを持っていても、それを信仰や宗教としては意識していないからだ。

 奈良や京都で古寺がいくつも残され、他の地域でも名だたる寺や神社がきっちりと守られてきたのも、日本人には強い信仰があるからだ。無宗教化が進むヨーロッパでは、古いキリスト教の教会でも維持できなくなり、モスクに売られたりしている。

 そして、年を重ね、人生の終わりや老後を意識するようになると、日本人ははっきりと自分の信仰を意識するようになる。それしか、死に向かいつつある自己を支える基盤を見いだすことができないからだ。

 日本人の本音は無宗教ではない。そのことを踏まえた上で日本人の宗教観を見直す必要があるのではないだろうか。