さらに、特定の宗教・教団(宗教組織)への自覚的所属意識にかかわらず、宗教的行動は盛んに行っていたり、宗教的感性は大切に思っていたりすることも日本人の特徴である。先に引いた調査においても、既成宗教に関わりなく「宗教的な心」は大切だと思う人の割合は66%(前記「日本人の国民性調査」)、盆や彼岸などにお墓参りをする人の割合は78.3%、正月に初詣でに行く人の割合は73.1%(前記「全国世論調査」)、「去年のお盆の墓参り」に行った学生の割合は56.4%、「今年の初詣」に行った学生の割合は61.4%(前記「学生宗教意識調査」)と、信仰を有していると答えた人の割合に比してそれぞれかなり高い割合となっている。
 お盆や正月の帰省ラッシュの存在は、家族と再会する機会という世俗的目的と宗教的目的が相まって生じている現象なのである。

 以上のように、総体的にみて今日の日本人と宗教のかかわりは、①主観的に特定宗教の信仰を有していると自覚する者は少なく、②一方で「形式的に」教団に所属しているとされる人数は多く、③特定の宗教・教団への所属意識がなくとも宗教的感性を有し宗教的行動は行う、というものである。

 こうした日本人の在り方が無神論とは異なるとしても、「無宗教」であるといえるか否か。そもそも、大半の日本人が「無宗教」であるか否かという論点について、論理的に考えるならば、「宗教」ないし「無宗教」の定義によって、その結論が決まることになる。

 しかし、「宗教」の定義自体が容易な問題でない。『宗教の定義をめぐる諸問題』(文部省調査局宗務課、昭和36年)には、104人の研究者による104通りの異なる定義が収録されているほどである。「宗教」の定義が容易でなければ、「無宗教」の定義も容易ではなかろう。容易に定まらない多様な定義のいずれに依るかにより、日本人は「無宗教」であるともないとも言い得ることになる。

 少なくとも、すでに述べたように、こうした日本人と宗教のかかわりは国際比較的にかなりユニークなものであり、戦前から説明が試みられてきたものであるが、戦後においても例えば山本七平や小室直樹の「日本教」論(『日本教の社会学』1981年、講談社[2016年復刻、ビジネス社]など)や阿満敏麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996年)、最近では松島公望・川島大輔・西脇良『宗教を心理学する データから見えてくる日本人の宗教性』(誠信書房、2016年)などがそれぞれ多様なアプローチによってこの問題を考察している。

 この問題は、個人的レベル(海外旅行)や国家的レベル(外交)の実践的問題であるにとどまらず「われわれ日本人とはいかなる存在なのか」、というアイデンティティの探求にかかわっているため、時代を超えて関心を引き続けるのであろう。

 なお、「特定の宗教を信じているわけではないが『宗教性』は大切だと思っている」という人を、「Agnostic(不可知論者)」と表するのが英語の意味的には一番実態と表現のずれが少ないという。

 しかし、実際に書類に記入したりする場合「Agnostic」はよくわからないから、面倒くさいので「Buddhist」でいいや、というのがおそらく大方の日本人の心情であろう。これをおおらかで寛容と評するも、いい加減で無節操と評するも、立場によって可能である。