――でも、地動説によって上には神様がいないわけですよね。

佐藤 そうです。神学的には、シュライエルマッハーが唱えた「神様は心のなかにいる」という説を打ち破ったのが現代神学の父、カール・バルトです。バルトは、上にはいないということをわかりながら、上にいる神様を見つけないといけない、と言います。人間は神様ではないから、神様について知ることは一切できない。語ることもできない。しかし説教をする牧師は神について語らなくてはならない。だから、神学というのは「不可能の可能性」に挑むことなのだと主張したんです。

 私自身、きわめていかがわしいものですけれど、神様はいると思っています。われわれはいつまでたっても、神様の感覚から離れることができないんですよ。これもカール・バルトが言ったことですが、人間は原理的には宗教なしで生きるけれども、現実的には無理なんです。なぜか。簡単に言えば、死ぬからですよ。死ぬというのは一方通行ですから、戻ってきた人は一人もいない。となると、どういう世界かわからない。わからない世界については不安になるから、神様とか仏様が必要になるんです。

第一次世界大戦が無神論を崩壊させた


――佐藤さんは他の著作で、無神論を研究したくて同志社大学神学部を選んだと書いています。今現在、無神論についてはどうお考えですか。
佐藤 無神論が崩壊したと思っています。じゃあいつ崩壊したのか。ちょうど今年は無神論崩壊100年にあたるんです。つまり1914年に無神論は崩壊した。

 1914年というのは第一次世界大戦が始まった年です。今年は第一次世界大戦から100年という重要な年なのに、なぜ大きな特集をどこの媒体もやらないのか不思議ですが、この第一次世界大戦によって無神論は終わりました。

 イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、フランス革命が始まる1789年から第一次世界大戦が勃発する1914年までの時代を「長い19世紀」と呼んでいます。この長い19世紀とは、要するに啓蒙の時代です。ロマン主義的な反動がヨーロッパの一部にあったにしても、基本的には科学技術と人間の理性に頼ることによって、理想的な社会を作ることができると考えられていました。

――それが無神論の時代でもあるわけですね。

佐藤 そう。神がいなくても、理性を正しく使って合理的に考えれば、世界は進歩すると考えたんです。ところが1914年から1945年までの二つの世界大戦による大量殺人と大量破壊は、理性と無神論からなる啓蒙の時代を木っ端みじんに吹き飛ばしました。ですから、無神論の時代、すなわち啓蒙の時代は1914年で終わり、それと同時に「不可能の可能性として神」について語るようになったのが1914年からだと思うのです。