テロリストは、次々と最新の電子ツールを使って謀議を図り、情報・捜査当局はそれを見破る努力をしています。こういう時代だからこそ、尾行さえついていなければ、昔のように喫茶店の奥のテーブルで、小声で謀議したほうが察知されないかもしれません。

 テロの防止が難しいのは、テロの主体が「組織」に限定されないからでもあります。組織として一定期間存続し、メンバーシップが明確ならば、監視も、封じ込めもそれなりの手を打てます。

 しかし、1回の事件のために一時的にグループを作る場合や、ましてや単独犯ですと、よほど前科があるとかでなければ、当局の目にはとまりません。市民から通報が不可欠になってきます。自宅で爆弾をつくっていたり、不自然なまでの車両や人の出入りがあれば、周囲に怪しさを発散させているものです。

 単独犯でも大勢の犠牲者数を出す例がありますが、テロの歴史を振り返れば、組織・グループのほうがはるかに大きな被害をもたらしてきました。ですから、共謀段階で察知し摘発するか、遅くとも準備に着手しているときに摘発することが最も望ましいのです。
けが人を救急車に運ぶ救急隊員=ロンドン国会議事堂近く
けが人を救急車に運ぶ救急隊員=ロンドン国会議事堂近く
 最後に、「テロを防ぐ」という意味もよく考えねばなりません。完璧になくすということであれば、自由で民主的な社会とは決別しなければなりません。北朝鮮では、統計上テロは発生していません。

 全体主義国家では、テロリスト(非国家主体)が活動する余地などありません。国民がテロのリスクをゼロにして欲しいと願うのは逆に危険なことです。いざ起きてしまうと、政府は何をやっていたんだと批判し、その結果、今より厳しい規制をとらざるを得なくなります。

 すべてを政府や警察任せにするのは、自由民主主義の価値から遠ざかります。市民ひとり一人が身近なところで異変に気づき、防止に貢献する意識と行動が必要です。また、海外でテロに巻き込まれないような注意情報は外務省などからも出されていますが、それを真摯に受け止め、回避行動をとるかどうかも、市民の判断にかかっているのです。

 テロは100%防げない。だからこそ、日本でもテロ発生後を想定した「国民保護訓練」などが全国的に多数行われてきたことも付言しておきます。