要するに、本来であればできるはずなのに、意図的に努力を怠っているから、仕事ができないという風に思い込んでしまうのだ。自身が優秀であればあるほど陥りがちな欠点といってよいだろう。この罵声を浴びせられた秘書のミスを許すことができなかったのだろう。

 だが、人間は皆、豊田代議士ほど努力家でも優秀でもない。別に彼女の才能を持ち上げるわけではないが、誰もが豊田代議士ほど優秀ではないというのが、世の中の常である。確かに豊田氏は優秀な官僚ではあったかもしれないが、一人一人の庶民の心をおもんばかることができないという意味において、政治家には絶対に不適格な人物であった。このような人物を公認候補として選出してしまった自民党関係者も猛省すべきであろう。
支援者とともに満面の笑みで万歳三唱する豊田真由子氏(中央)=平成26年12月、埼玉県新座市
支援者とともに満面の笑みで万歳三唱する豊田真由子氏(中央)=平成26年12月、埼玉県新座市
 もう一点、別の観点から、この事件について一つだけ指摘しておきたいことがある。それはこの男性秘書の身の処し方についてだ。

 恐らく、何度も信じられないほどの暴言を浴びせられ、嫌気が差したことは理解できる。だが、本来、彼がなすべきだったのは、ミスをした点に関しては、豊田代議士に対する心からの謝罪であり、その後になすべきは、豊田氏の異常な言動に対する「諫言」ではなかっただろうか。

 失敗した点は謝罪すべきだが、本来、非難されるべき点ではない身体的特徴を揶揄(やゆ)され、人格を否定されるような発言がなされた点に対しては、いさめるべき立場にあったのではないだろうか。いさめて聞き入れないというのならば、断固として、その点は認めがたいと面を冒してでも堂々と主張すべきではなかったのか。

 こうした低俗な議論に持ち出すにはいささか気が引けるが、『孫子』には「将、軍に在りては君命も受けざるところあり」との言葉がある。例え、上司から命令されようとも、引き受けてはならぬことがあるという意味だ。この場合、命令が下されているわけではない。自分自身の人格、名誉が否定されているのだ。その場で曖昧な態度を取るのではなく、毅然(きぜん)とした反論をなすのが秘書という職務というものだろう。

 代議士もひどければ、秘書もひどい。日本の政治は一体どうなってしまうのかと思わざるを得ない低俗な事件だった。