インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。

 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。

 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。

 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。

 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。
 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。

 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。