そして、再検査から8カ月が経過した10月、麻央さんが気付いたしこりをきっかけとして、腋窩(脇)のリンパ節にも転移がある乳がんと診断されたのです。

こんな時は、ただひとりの女性になって、主人の胸ででも泣きたいけれど、やっぱり思いっきり笑顔のママになって両手を広げた。飛び込んできた娘と、遅れてたどり着いた息子を抱きしめながら、この子たちのママは私ひとりなんだ、という喜びと怖さに、心がふるえた。絶対治す!と誓った。

 さらに、担当医師から治癒を目指すための標準治療の説明も受けています。

治療法のひとつのホルモン療法は五年間に及ぶので、妊娠出産を望むのならば、抗がん剤治療→手術→放射線治療の後、ホルモン療法の前に、タイミングを考えることができるかもしれないこと、を、私の場合は、説明された。(乳癌のタイプや状況によって、治療法や順番も違うと思います)

 麻央さんは、海老蔵さんとお二人だけで次のように前向きな気持ちも確認し合っています。

夜景が綺麗なホテルだった。「絶対大丈夫!治そう!」そんな話をしたと思う。「悲しいね」主人がポツリと言った。夜の部の公演が終わるのを待って、一緒に家に帰ることにした。それまでの間、やはり、お腹はすいたので、ルームサービスで銀鱈定食を頼んだ。完食した。美味しかった。涙はでなかった。あの日のジェノバパスタとは全然違う!と思った。自分の中で少しずつ覚悟ができていた。

 愛する家族のためにも「絶対に治す」という強い決意がありながら、時系列として最初に乳がんと診断されたタイミングで、なぜしかるべき治療を受けることがかなわなかったのでしょうか。

私が 治療に背を向けたとき母も叫びました。「死ぬ順番を守りなさい。お母さんが死んだとき、まおに口紅をぬってほしい!」と。私を産んでくれた 母の言葉です。父には「人間誰しも最後は天命を待つのみだけれど、それまでは不屈の希望であきらめないこと」と言われています。父らしい言葉です。

 なぜ、治るためにもっとも確度の高い標準治療に背を向けてしまったのでしょうか。そして、なぜ海老蔵さんはその意思決定を認めてしまったのでしょうか。