当時の情報の一極集中ぶりがよく現れていたのが歌謡曲です。ランラン、カンカンが来日した1972年のレコード売り上げ1位は宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、2位は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」ですが、当時物心ついていた人なら、どちらの曲も、すぐさまそのメロディーが出てくるのではないでしょうか。

 一方、去年のオリコンの年間CD売り上げランキング1位は、AKB48の「翼はいらない」、2位もAKB48で「君はメロディー」ですが、果たして口ずさめる人はどれぐらいいるでしょう。SNSやYoutubeの登場で、国民全員が情報の発信源となりうる今は、情報がありとあらゆる分野で蔓延(まんえん)し、人々は自分の好みの情報をえりすぐっているため、一極集中にはなり得ないのです。

 そのような背景も手伝って、日本人特有ともいえる「皆がしていることは自分もしなければならない」的な性質が、パンダフィーバーをさらに加熱させました。日本人は流行を追うのがとても好きなようで、ミシュランガイドの星が1つでも付けば、その店はたちまち大行列ができるのです。

 おそらく、今以上に流行に敏感だった高度成長期末期の日本人は、当然のことながら上野に殺到しました。ランラン、カンカンの公開当日、1キロもの行列ができ、約5万6千人がパンダを一目見ようと押しかけました。実際にパンダを見られた人は、わずか3割程度だといわれています。3時間待ちの長蛇の列に断念せざるを得なかったのです。
中国から来日したパンダのランラン、カンカンが上野動物園で初公開され、観客が殺到した=1972年11月5日
中国から来日したパンダのランラン、カンカンが上野動物園で初公開され、観客が殺到した=1972年11月5日
 幸運にもパンダを見ることができた約1万8千人は、パンダの前で立ち止まることは許されず、見られる時間はたった30秒程度でした。その30秒の間、パンダは背を向けていたり、あるいは微動だにしなかったことはザラで、たまたま観客のほうを向いていたり、何かを食べていたりしたら大ラッキーで自慢の種になったのです。

 当時は良くも悪くも、世の中に「忖度(そんたく)」がゴロゴロ転がっていた時代で、私は上野動物園の関係者だった父の友人の忖度で閉園後にパンダ舎のバックヤードにこっそりと入れてもらいました。子供心に、もう十分だと思われる程の時間、ランランとカンカンを妹と2人だけで見させてもらったという、今では考えられないような思い出があります。その光景は、セピアカラーながらも、今でも鮮烈に記憶に残っています。その後数日間は、ずっとその話を友達に自慢し、友人たちもその都度、大きなリアクションをしていたのを覚えています。

 このような、一般にはなかなか見られないという希少性やチラリズムが、上野のパンダをさらに貴重な存在へと押し上げていきました。パンダ来日決定から公開の間に、「パンダ」と「上野」が合体した強烈なブランドイメージが出来上がってしまったのです。当時小学生だった私の世代、つまり今の50代から上の世代は、今でもそれをずっと引きずり、その思考が自分たちの子供の世代へと受け継がれたのではないでしょうか。