最初の時期(1957-1983年)のパンダは、「友好国としてアピールしたい国」に「親善大使」として贈与された。1957年にピンピン(平平)を贈られたのは、中ソ論争がまだ対立へ発展していなかった時期のソ連であった。65年には北朝鮮にも贈られた。中ソ対立が激化して中国と米国が接近すると、72年以降は、贈与対象国が米日英仏などの西側主要国にも広げられていった。

 日中が国交正常化した72年、戦闘機で護衛された旅客機に乗ったランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)が、日本への親善大使として贈られてきた。国交を回復したばかりの中国は、「竹のカーテン」で覆われていた。しかし、その不透明な中国のイメージを、愛くるしいランランとカンカンが爆発的なパンダ・フィーバーを日本に巻き起こし、払拭した。パンダは、中国との友好のシンボルとしてアイコン化していった。政治家ではできない影響力と効果であった。

 第2の時期(84-2008年)は、パンダ外交が「無料で贈与」から「期間限定で貸与」に切り替えられていったことで、「外貨獲得」と「シンボル」の意味が高められていった。

世界自然保護基金(WWF)のロゴ。
シンボルにパンダが使われている
 パンダは、米中接近以前の61年に、世界野生生物基金(WWF)のシンボルマークになっていた。創設メンバーのピーター・スコット卿がデザインしたものだ。86年にWWFは世界自然保護基金に名称を変更するが、パンダは今に至るまで、そのシンボルマークになっている。70年代に生育環境の保護も含めた活動が広がっていった中、中国は81年に野生動物の国際取引を規制するワシントン条約に加盟した。加盟時点では、パンダは比較的規制の緩い「附属書III」に分類されていた。

 しかし、84年には、パンダが条約の中で最も規制が厳しい「附属書I」に分類されることになった。パンダが絶滅危機にあることなどを理由に国際間の移動が制限されると、中国は香港や台湾などをのぞき、外国への贈呈をやめて「貸与」することにした。そのため、パンダの贈呈は、82年にやってきたフェイフェイ(飛飛)が最後となった。

 貸与に伴い、借用国が支払う「レンタル料」は、パンダの繁殖生態研究費に充てられている。ワシントン条約で保護されているパンダを、政治的に贈呈したり無料で貸したりすることには厳しい制約がある。そこで、中国はパンダ繁殖研究基金を払わせる代わりに、研究のために貸し出しているのである。高額なレンタル料は、パンダの希少性への価値を高めることになり、高額な外貨獲得のみならず、外交交渉での優勢性や機会などの付加価値を中国側にもたらすことになった。パンダの貸与継続交渉を通じて、外交交渉における中国の姿勢を知らしめる機会を中国側に提供することになる。