特に若い女性にとって、スマホで何かを撮影することは、すなわちインスタグラムにアップできるかもしれない「ちょっといい写真」の在庫を確保しておくことといっても過言ではない。ツイッターでもフェイスブックでもなく、インスタがいいのだ。なぜかと聞かれても、みんなが使っているからとしか言いようがない。ヒットするアプリとはそういうものだろう。スマホのインターフェースは直感的なものだから、「なぜ良いのか」問われても言語化しづらい。直感的な気持ちよさを味わえるから「良い」のだ。

 インスタグラムが提供する気持ち良さは「『少し盛った自分』を味わう中毒性」ともいえる。同アプリの特徴は、アプリ内のフィルタで加工した画像を1枚載せるだけ、というシンプルさにある。タイムラインには画像が大きく表示され、自分のトップページは画像で埋め尽くされるから、いきおいアップする写真に変なものがあってはいけないと身構える。
自分の画像一覧。筆者のインスタグラムトップページはこのように表示される
自分の画像一覧。筆者のインスタグラムトップページはこのように表示される
 筆者も多くのユーザーと同じく、ツイッターやフェイスブックに載せる画像と、インスタグラム用の画像はしっかり分ける方だ。インスタグラム用の写真はより美しく、よりかわいく、色合いも気になる。インスタを使い続けるうち、アプリの世界観に「適応」した結果だ。せめてインスタグラムの中ではかわいくいたいのである。

 現実の「私」は平凡で、日常はつまらない。だからアプリの中くらい、理想の自分を演出したい。あわよくば、その「理想」に合わせて現実をアップデートしたい。この心理は、美容整形にも通じるところがある。『整形した女は幸せになっているのか』(星海社)でも論じたが、顔や体にメスを入れ、より美しく整える美容整形は、「化粧=メーキャップ≒自分を美しく盛る」という概念なしには成立しないからだ。

 普段から化粧に親しみ、素顔よりも美しく整えている人ほど、素顔になった際に「落差」を意識しやすい。理想の自分=盛った自分と、現実=すっぴん。その落差を埋めるため、「すっぴんでも、化粧したかのように美しくありたい」と、美容整形にひきつけられるのだ。アイメイクをしなくても大きな目。ハイライトを入れなくても高い鼻。補正下着をつけなくても、大きな胸。それを目指して対価を払い、肌にメスを入れる行為は、特に責められるものでもない。