稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を「政治的争点」にしてしまったということである。

 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移の中で、自衛隊の隠蔽体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。

 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊の間に確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠蔽を了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。

 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠蔽体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。

稲田朋美防衛相の辞表を受理し、会見で頭を下げる安倍晋三首相
=7月28日、首相官邸(斎藤良雄撮影)
 これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになるだろう。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に盾突く自衛隊」というイメージが膨れ上がっているのも事実だ。「クーデターだ」「二・二六事件の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる首相官邸の役割をめぐって文部科学省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。

 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内でのことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。

 このままでは憲法改正の議論が、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題に発展しかねない。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それこそが稲田氏の最大の「功績」である。