日本の新聞は1950年代から70年代の高度経済成長期、寡占体制を背景に大きな成長を遂げた。各地に販売店を設け、世界で最も完備したきめ細かい宅配購読システムを構築した。印刷、通信技術の向上や交通網の発達もあいまって、日本のどこでも出勤前の朝6時には各家庭に朝刊が届けられる。

 これを後押ししたのが当時の一億総中流意識だ。生活レベルも単一化し、各家庭が「お隣が読んでいるなら」と競って新聞を購読した。小中学校でも、新聞記事の論評や社説の書き写しが宿題として出され、大学入試には社説がしばしば使われた。

 読売新聞の発行部数は1977年、朝日新聞を抜いて業界トップの720万部に達し、1994年には念願の1000万部を突破した。戦前を含め、社会の流れを機敏に察知し、販売戦略に生かしてきたのが読売新聞である。
読売新聞本社=東京都千代田区
読売新聞東京本社=東京都千代田区
 留意すべきは、記事内容によって発行部数トップになったのではないという点だ。これもまた市場の落とし穴である。

 市場にはさまざまな商品が存在するが、販売している者が商品を理解していないケースはほとんどない。だが新聞販売に関して言えば、勧誘員が新聞を熟読し、内容をセールストークとしているという話は聞いたことがない。何が書いてあるかではなく、トイレットペーパーや洗剤などの景品で読者を釣るのである。当時、販売店主が「白紙でも売ってやる」と豪語したエピソードは顕著な例だ。多くの読者もまた、内容を問わず、習慣や景品の多寡で購読契約書にサインすることが常態化した。

 では、編集の現場で何が起きたか。大量発行部数を支えるのは、際立った論調ではなく、だれもが受け入れられる均質な内容である。他紙と同じようなことを書いていればそれでよい。こうして、リスクの伴う特ダネよりも、1社だけ記事を落とす「特落ち」を極度に恐れる横並び意識がはびこった。

 固定契約による販売と編集の分断は、編集の独立を担保するメリットもある。駅売りで、夕刊タブロイド紙やスポーツ紙のように、内容とかけ離れた派手な見出しをつける必要がない。だが、独立はまた読者との乖離(かいり)を生む。

 特ダネは主として社会の不正義や権力による不正を告発する形をとる。メディアの主な存在意義が、知る権利を通じた権力の監視にある以上、それは必然的な結論だ。世界をみても、一大スクープが権力による隠蔽(いんぺい)を暴き、時代変革のきっかけを作った事例は、新聞史上の栄誉として語られている。

 裏を返せば、特ダネを重んじない新聞社は、権力チェックの責任をも放棄したことになる。その結果、内にあっては事なかれ主義が、外に対しては権力にすり寄る事大主義が根を下ろす。寡占体制によるなれ合い、読者不在の事なかれ主義と事大主義が、報道機関の使命を有名無実化している構造的な欠陥がうかがえる。