私は27年間、読売新聞に身を置き、2015年6月、「特ダネ記事がボツにされた」ことを理由に辞職した。ボツ扱いされた私の特ダネはその後、月刊誌『文藝春秋』2015年8月号に掲載された。私はそれ以前にも、「安全」を名目にした意味不明な特ダネ執筆禁止令や緊急帰任令を受けた。報道機関としてあるまじき事態だ。私は自分が辞表を書くに至った経緯は拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)で言い尽くしたので、これ以上は触れない。

 私は在籍中、編集幹部が「特ダネは書かなくてもいいから、訂正は出すな」と平気で口にしているのを聞いてあぜんとした。こうした後ろ向きの体質は社内全般に行きわたり、記者の手足から頭の中までを縛っている。

 失敗を恐れて特ダネを軽視し、特落ちを恐れる体質は、読売新聞に在籍する者であれば、目をふさぎ、耳を閉じない限り、だれもが体感している。それを口外してはならないことも、無意識のうちに自覚している。事なかれ主義が極まり、独裁国家顔負けの情報統制が敷かれているのだ。

 世界最大発行部数の裏に、「見ざる聞かざる言わざる」を心得とし、羊の群れのように黙って草を食(は)んでいる光景がある。決して誇張ではない。自由ではなく盲従が、責任ではなく追従が、ジャーナリズムの土台をむしばんでいる。

 インターネットの発達により、従来の経営モデルが重大な挑戦を受けている中、改革や革新ではなく、リスクを恐れる事なかれ主義が蔓延(まんえん)しているのは不幸である。と同時に深刻なのが、「共食い現象だ。全体のパイが増えない以上、他社の失策に乗じ、なりふり構わず読者を奪おうとする発想が生まれる。なれ合いの市場はそもそも健全なルールを欠いているため、仁義なき戦いに転ずるのは必然だ。狭隘(きょうあい)な自己都合でそろばんをはじき、強い者には媚び、弱者には鞭打つ事大主義が巣食っている。

 顕著な例が、2014年8月、朝日新聞が従軍慰安婦報道や東京電力福島第一原発事故「吉田調書」の誤報で対応に手間取り、社長が辞任に追い込まれた際、読売新聞が行った過剰な批判キャンペーン記事だ。連載記事は「徹底検証 朝日『慰安婦』報道」(中公新書ラクレ)として出版までされた。海外支局にも「有効活用してください」と1冊が送られてきて、私はあきれた記憶がある。
朝日新聞東京本社=東京都中央区(本社チャーターヘリから、桐原正道撮影)
朝日新聞東京本社=東京都中央区(本社チャーターヘリから、桐原正道撮影)
 日本国憲法は戦前の言論統制の反省から、第21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定める。新聞や雑誌、テレビで構成される日本新聞協会は新聞倫理綱領の中で、「新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」と明言し、各メディアはこれに準じた独自の報道指針を作っている。もちろん、真実の報道がその核心であることに変わりはない。