私は昭和60年代の半ばから数年間、はり治療を得意とする白石宏トレーナーのマネジメントとプロデュースを担当した。彼との活動を通して、治療技術を持ったトレーナーという新しい分野を拓き、普及させる一翼を担った。ロス五輪で4つの金メダルを獲ったカール・ルイス、ソウル五輪で金メダルを獲った水泳の鈴木大地(現スポーツ庁長官)、柔道の斉藤仁、さらにはテニスの伊達公子、松岡修造、マラソンの有森裕子ら、数え切れない選手たちのケガを治療し、競技に復帰させた。目標を果たす傍らにいた白石トレーナーの活躍を私は身近で支援し、それを雑誌や単行本で発信したこともあり、実際にトレーナーを志した人たちも少なくないと聞かされている。

シート打撃練習に登板した巨人・沢村拓一
=7月28日、ジャイアンツ球場(撮影・矢島康弘)
シート打撃練習に登板した巨人・澤村拓一
=7月28日、ジャイアンツ球場(撮影・矢島康弘)
 その当時、はりを使うトレーナーに対する医学界の「拒否反応」はあからさまだった。鈴木大地、斎藤仁両選手から要請を受け、五輪の会期中ソウルに赴いたが、選手村に入ることは当然許されず、私はソウル市内に部屋を確保し、両選手が選手村から治療に通ってくる環境を整えた。西洋医学の医師たちが治せなかったケガだからこそ、選手は藁にもすがる思いではり治療を選択し、夢を達成した。それなのに、はり治療を根拠のないものとして排除しようとする組織的パワーを痛いほど感じた。

 実際に、はり治療で選手がケガから回復した例は数え切れない。西洋医学的な治療より効果があり、短期間で競技に戻った例をたくさん知っている。反対に、スポーツ選手のケガや障害に関して、検査による診断はできても改善できない医師たちの現状もたくさん知っている。投薬や手術では改善できないスポーツ障害がたくさんある。

 はり治療がスポーツ界で注目されたひとつのきっかけは、いま日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦だ。福岡国際マラソンを3連覇、ボストンマラソンにも優勝して広く国民的なスターだった瀬古利彦が、足のケガで長くレースから遠ざかった時期がある。いくつの病院を訪ねても治らなかったケガを治し、レースで走れるまでに回復させてくれたのが、はり治療家、小林尚寿だった。彼の伝説は、当時のファンにはよく知られている。アメリカのトレーナー制度を学んで帰国し、当初は西洋的なシステムに傾倒していた前述の白石宏トレーナーが痛切にはり治療を学ぶきっかけとなったのも、瀬古のケガを小林尚寿が治す姿を間近で見たからだ。

 このように、西洋医学で治せなかったスポーツ選手のケガをはり治療が改善した事例は、その後の日本スポーツ界にもたくさんある。だが、日本各地に立派な競技場が建設され、その内部にトレーニング場やメディカル・ルームが併設されるが、東洋医学的なトレーナールームが採用された例を私はあまり知らない。ここは日本であるにもかかわらず、そういう場合に幅を利かせるのはやはり西洋医学的な施設なのだ。