私自身の立場からすれば、今回のハリルホジッチ監督の「猛講義」は、スポーツ報道やそれに携わるジャーナリスト、熱心なサポーターたち、さらには日本の指導者たちへの強烈な一撃だと感じる。

 「お前ら、偉そうに言うけど、本当のところはわかっていないんだよ」

 ハリル監督の感情を直訳すれば、そうなるのではないか。私自身、スポーツ表現に関わりながら、その矛盾やジレンマをしばしば感じる。

 プロ野球の投手が「160キロを記録した!」となれば、大きな話題になる。大切なのは、打者を抑えたかどうか、試合を支配し勝利したかだ。が、数字が独り歩きする。160キロの投球をバットに当てられたとあれば、何か不足がある、と考えるのが選手の実感だ。数字を見て騒ぐのは、外野席の感覚だ。ファンが騒ぐのは自由だし、それもスポーツの楽しみだが、メディアやジャーナリズムが、本質から離れた外野席の発想では核心から外れる。勝手な思い込みで競技の本質を誤った方向に(あるいは狭い理解で)導くのは発展を妨げる。未来ある選手たちの可能性もむしばむことにつながる。

サッカー日本代表メンバー発表会見の冒頭で熱弁を奮うハリルホジッチ監督  =9月28日、東京都文京区(撮影・山田俊介)
日本代表メンバー発表会見の冒頭で熱弁を奮うハリル
ホジッチ監督=9月28日、文京区(撮影・山田俊介)
 その意味で、ハリルホジッチ監督の勇気と挑戦に敬意と拍手を送りたい。私たち伝える側の人間、熱く語るサポーターたちも、本当は何が試合を支配したのか、もっと謙虚に当事者に聞き、探り、無限に追求し続ける謙虚さが必要だということを肝に銘じたい。

 ハリルホジッチ監督がただ「お仕事」でなく、《日本サッカーのアイデンティティーを築く一助になりたい》、そう自覚している感じが日を追うごとに伝わってくる。

 「代表の監督を引き受ける」とは、ワールドカップに出場させる、ワールドカップで勝ち進むという命題とともに、そういう使命があることを当然自覚して、ハリルホジッチ監督は任務に当たっている、私はそんな風に感じる。フランス人(ハリルホジッチ監督はユーゴスラビア出身、現在はフランス国籍)にとってサッカーとは、人生や社会と深く結びついた活動だから、ハリルホジッチ監督にとってはそれが当然の感覚なのだろう。そのことも含めて、私たちは外国人監督から学び、サッカー文化を深める大きなきっかけになればいい。