丸紅でエリートの道をひた走っていた元秘書課長の副島勲(62)=後に取締役、現丸紅石油基地社長=は、丸紅フランス社長として着任半年後の51年7月17日から50日間、検察から取り調べを受けた。証人として立った公判では灰色高官たちに直接現金を届けたとされた。現金を配ったのは欧州に栄転する直前。

 「転勤があと1-2カ月早かったら(事件に巻き込まれなかった)-と思うけど、(将来は)間違いなく社長になった伊藤さんも逮捕され、人生何が待ち受けているかわからないと悟ることができた」。

 ホテルの一室で「浴衣のヒモで首をつるか、バスタブの中で手首を切って死ねば楽だろうな-と自殺も考えた」という。

 「(灰色高官)に3千万円が渡ったのは事実。でも、わいろではなく政治資金。当時、一般的に飛行機を買うことと日ごろの政治献金の習慣は同一線上にあり、問題にならないと思った」

 副島らによれば、85歳になる桧山は都内の自宅で目立たぬように、ひっそり暮らしている。心臓病の持病に加え、腰をいためているという。好きな旅行も行かず、ゴルフも初公判以来「いい気なものといわれるから」とやっていない。

 田中角栄元首相の秘書官、榎本敏夫(68)を調べた東京地検検事、村田恒(61)=現高松高検検事長=は、榎本に対し「善人で小市民的」というイメージを持っていた。

 その榎本は、5億円の段ボール箱授受の現場にはいなかったとする『榎本アリバイ』の中でも度々登場する東京・上中里の自宅に今も住む。表札はなく、『榎本敏夫』と書かれた親指大ぐらいの紙が、ポストの投函口のヒサシの中に、隠れるようにセロテープで張ってある。

 社会人となっている長男(26)、二男(23)と母親(87)との4人家族。三男(21)が米国留学していることを除けば、事件発覚当時と変わらない。田中家との金銭関係はもはやない。昭和56年12月に高血圧性脳症で倒れて、手足の自由を奪われた。「本当はもっとべらんめえなのに、言葉が思うように出なくて歯がゆい。階段を上がるときはつえがあっても人の厄介にならないといけないから、通院や美術館巡り以外、外出はほとんどない。夕食の前に日本酒をお湯で割ってコップに一杯飲む。まずいけど、飲まないと食事がうまくないような気がして」

 テレビのチャンネルは、政治番組で止まる。

 「たかだか7-8カ月の野党生活に嫌気がさして社会党と連立するなんて、自民党の今までからすると信じられない」

 “ハチの一刺し”で榎本に不利な証言をしたかつての妻、三恵子とは「保釈の2-3日後に別居になった。一番辛いときだったが、これも人生と思ってあきらめる他なかった。私が悪かったのだが、ちょうど子供たちが小さくて、母に養育で迷惑をかけ、伜(せがれ)としては大変親不孝な話だった」としんみりした。(文中敬称略)