1回目聴取で受け取り認めた児玉誉士夫


 田中角栄元首相の逮捕からさかのぼること4カ月余り。昭和51年3月4日午後3時過ぎ、東京・等々力の児玉誉士夫=当時(65)=(故人)邸で、東京地検による在宅取り調べが始まった。

 1年半前に脳血栓で倒れた児玉は、2階和室で点滴を受けていた。ふとんに寝た児玉の向こう側に妻、手前にはやがて田中を迎え行くことになる東京地検特捜部検事、松田昇(61)=現法務省矯正局長=が座った。足元からやや離れたところに、「短時間ならば」と、聴取に決断を下した主治医の喜多村孝一・東京女子医大教授が付き添った。

 「日本の黒幕」といわれた児玉だったが、倒れた後、高血圧のためまぶしくて目を開けていられない『羞明(しゅうめい)』症状があり、部屋は暗くされていた。まるで、司祭が臨終の床にある信徒に最後の祈りをささげるキリスト教の『終油の秘跡』を描いた宗教画を思わせた。

 2月4日、米上院多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)での公聴会で、ロッキード社のカネが、児玉や丸紅を通じて日本の政府高官に流れ、航空機導入が決定された疑惑が明らかにされた。以来、それなりに安定していた児玉の病状は悪化、国会喚問にも出られないようになった。

 敬愛する特攻隊の生みの親、大西滝治郎海軍中将が床の間の壁に映る-と叫ぶなど、幻覚を見る『失見当識』症状に陥った時期もあったほどだ。

 一方、「逮捕は絶望的でも、せめて取り調べを」と願う検察側は、児玉に取りつく病魔に加え、時間とのきわどい神経戦を強いられた。47年分の『8億5千万円』の脱税についての時効が、10日後の14日に迫っていた。

昭和51年2月、ロッキード事件の一斉家宅捜索で東京・世田谷区の児玉誉士夫邸に入る捜査員
 松田は児玉に問いかけた。

 「ロッキード社を知っていますか」

 「どのような関係ですか」

 「契約書は作りましたか」

 「ロッキード社からカネをもらったことがありますか」

 児玉は初めての調べに、金額はともかくロッキード社の顧問であること、同社からカネをもらっていたことを真摯(しんし)に答えた。児玉の声はややロレツが回らず、ゆっくりとしたものだった。

 10分ほどのやりとりの後、ドクター・ストップがかかった。疲労に加え、上空を舞うマスコミのヘリコプターの音で、「マスコミの報道はひどい」と、いらだちを見せ始めたからだった。

 はやる気持ちを抑え、階下の食堂で調書用紙に一気に書き起こした。松田にとって「たった数枚のこの調書がまるで貴重な宝石のように思えた。早く書かないとそれがこぼれ落ちるような感じさえした」。病状が安定した1時間半後、教授が再び面会を承諾した。