松田は緊張の場面を振り返る。調書を読んで聞かせ、間違いがないか確認させる“ヨミキケ”の後、「署名しますか」という松田に児玉は「します」と答えた。だが、あおむけになったまま、調書を挟んだ画板をじっと見つめていた。

 躊躇(ちゅうちょ)したのか、自らの運命を考えているのか。ところが、児玉は思いもかけないことを口走った。

 「検事さん、『よしお』という漢字を思いだせないんですが…」

 松田が「ああ、書ける字で結構ですよ」と言うと、調書の末尾に『児玉ヨシヲ』と署名した。筆圧がなくわずかに流れていたが、松田は「『ヲ』というカタカナに明治の男を感じた」。

 松田はこの日のために、児玉の自伝や草柳大蔵の『特攻の思想』などを精読していた。以後、松田による在宅調べは70回にも及ぶ。

 2回目の調べは3月7日の夕方。児玉はいきなり「検事さん、ロウソクを知っていますか。ロウソクは最後は赤く燃え、細くなります。私の命も短くなっていることが自分でわかります。今のうちに検事さんに聞いてもらいたい」と語りかけた。

 松田がロッキード社から受領したカネの流れを問いただすうち、児玉は「債券を買ったはず」と言う。しかし、2月24日の家宅捜索の指揮官を務めた松田は、その債券がどこからも発見されていないことを知っていた。

 「実はある所にふろしきに入れて預けてあります。この債券を検事さんに提出します」

 その債券は6億円ものワリフドーで脱税の捜査に欠かせない“たまり(財産)”となる貴重な証拠であった。

 9月に入り「今月で交代するかもしれません」と告げると、児玉のほおに涙が伝わった。「ご繁栄をお祈りします」と言って、差し出された両手を松田は黙って握った。児玉は一時的に快方に向かうが、脳梗塞(こうそく)で倒れ、59年1月72歳でこの世を去る。

 松田の手元には、児玉の死後数年たって、遺族が「ゆかりの人」に贈った児玉の著書の英訳本が残った。

 児玉の筆頭秘書で自らも外為法違反にとわれた現東京スポーツ新聞社社長、太刀川恒夫(57)は、東京・池上本門寺の児玉の墓の後ろに、自分の墓を建てた。隣が空いていたが、あえて後ろの他人の墓を譲ってもらったという。

 「児玉のレベルに達せられないから、後ろが相応」というのが理由だが、「生まれ変わっても一緒にいたい」との願いもある。

 児玉は田中以外のある自民党実力者をかばい、墓の下まで真相を持っていったといわれているが、太刀川もまた、児玉と同じ道を歩むのだろうか。