「ロータス」と警視総監夫妻の奇妙な同居


 昭和51年4月23日、東京・一番町にあった警視総監公舎に1人の男が住み着き、当時の総監、土田国保(72)夫妻と5カ月近い奇妙な同居を始めた。

 「ロッキード事件の資料提供に関する日米取り決め」により引き渡された米連邦証券取引委員会(SEC)や米連邦捜査局(FBI)などの資料を警視庁独自に翻訳するため、刑事部付兼防犯部付に異動した兼元俊徳(49)=現警察大学校国際捜査研修所長=である。
1976年2月6日、2日前に発覚したロッキード社のトライスター機売り込み工作について、コーチャン副会長(左)が米上院公聴会で「現金は日本政府関係者に支払われた」と衝撃的な証言をした(UPI=共同)
1976年2月6日、2日前に発覚したロッキード社のトライスター機売り込み工作について、コーチャン副会長(左)が米上院公聴会で「現金は日本政府関係者に支払われた」と衝撃的な証言をした(UPI=共同)
 2カ月前に神奈川県警捜査二課長になったばかりなのに、突然の異動。庁舎に姿も見せず、おかしいと直感した記者たちが、兼元の“手配写真”を持ちながらチェックして回っているため、公舎の2階に缶詰め状態になっての作業を強いられたのだ。

 あるときなどは、土田の留守に記者がやってきて「ホテルにもいない。かくなる上はこの公舎にガサ入れ(捜索)をしなきゃ」と迫った。夫人が「再婚したばかりで、2階だけは見ないでください」と言ったためやっと引き上げたという。土田は警視庁警務部長時代の4年半前、自宅に届いた小包爆弾が爆発し、先妻を失っていた。

 記者の前で名前が出ることを恐れ、兼元を「ロータス」というあだ名で呼んだ。ロータスは英語でハス。兼元はレンコンの煮付けが大好物だった。ところが、土田によると兼元は「体力があり心臓が強い。英語がペラペラという、絶好の条件ながら大食いで1日5キロを走らないとダメ」。かくして公舎に隣接した麹町警察署長公舎から、ヤッケのフードを頭からすっぽりかぶったジョガーが、夜な夜な出没するようになった。

 兼元は振り返る。「捜査の流れの中でどういう価値を持つのかわからない。役に立つものを探せるのかも未知数。五里霧中の作業に加え翻訳家ではなく捜査員として期待されていたから辛かった。腹をくくるまでには時間がかかった」

 2月24日に児玉誉士夫邸などを家宅捜索して以来、東京地検と警視庁は東京国税局を含めて3庁合同で捜査を進めていた。しかし、検察は米国から得たこの資料をなかなか警視庁に渡そうとはしなかった。

 4月2日には、高橋正八最高検次長検事が山本鎮彦警察庁次長に対し「資料の捜査は、いっさい検察が責任を持って当たります」と伝えていた。山本からそのことを聞いた土田は5日に旧知の東京地検検事正、高瀬礼二(78)に直談判する。

 「資料を全面的に見せてほしい。警視庁は第一次捜査機関であり捜査の徹底を期したい」

 しかし、高瀬は極めて冷静だった。「米国側との協定成立のいきさつからして、あまり期待できませんよ」