この後、浅沼清太郎警察庁長官が布施健検事総長と高橋に会い、資料引き渡しを“お願い”し、ようやく引き渡しが始まったのが4月23日。午後6時、1回目の資料が警視庁に到着した。

 資料は全部で3千枚。その後数回に分けて引き渡されたが、地検次席検事の豊島英次郎(69)自身がコピーした。地検ナンバー2が資料をコピーするなどむろん異例中の異例だった。

 しかも、警視庁からそれを受け取りに出向くのは中平和水刑事部長の役目になった。総監室の外は、資料が来たことをかぎ付けた警視庁詰め記者たちによって張られていた。そこで中平は、記者の前で新聞紙の入ったふろしき包みを携え、鑑識課の金庫に恭しくしまった。

 ホンモノの資料は総監公舎の金庫にしまわれ、土田はその部屋で寝た。剣道七段の土田の布団の中から木剣が見えた。

 しかし、3千枚の資料の中には『ピーシズ』『ピーナツ』という領収書のコピーはあったものの、契約書がほとんどで、供述を引き出すための具体的な物証はなかった。そして、なぜか欠番があった。

 土田は「(田中角栄元首相の影響を受けている人物が少なからずいる)警察の旧内務官僚たちが、リークすると誤解していたようだ」という。

 6月19日の打ち合わせで、土田は高瀬から「大久保利春・丸紅元専務(故人)を突破口にし、全日空幹部と児玉の秘書は共同で逮捕」という方針を提案される。土田は「警視庁が逮捕した経理部長と営業本部長兼国際部長の証言から若狭全日空社長の国会での偽証が裏付けられた」と自負する。

 しかし、検察首脳と警視庁上層部の関係は良かったものの、「検察主導過ぎる」という警察の現場の不満はあった。

 例えば警視庁は6月24日、逮捕前提で別の丸紅元専務の任意取り調べを行っているが、検察はその後独自に調べを行い7月2日に逮捕した。「警視庁の調べの中身が一部報道されたことを、検察は面白くない-と感じたのだろう。元運輸次官にしても結局、検察の証拠が採用になり、検察が逮捕した」(土田)

 そして7月27日の朝。土田が東京西部にある青梅警察署での剣道の出げいこに向かったころ、東京地検の検事たちは田中邸のブザーを鳴らした。

 土田が「田中逮捕」を知ったのは午前8時10分。地検では逮捕状執行のための取り調べが既に始まっていた。

 このころ、警視庁管内の各署を回っていた土田が言う。

 「午前7時33分に署に着いた。道中、車に連絡したらしいが、山間部で電波が届かなかったようだ。7月20日ごろ、検察事務官が榎本敏夫邸を張っているという情報があり、近いとは知っていたが、いつかは知らされていなかった。24日に高瀬さんに会っているが、オクビにも出されなかった」