検察と裁判所の“異例”の挑戦


昭和51年2月、ロッキード事件の衆院証人喚問で
証言する丸紅の大久保利春専務
 昭和51年6月22日、丸紅元専務の大久保利春(故人)は全日空幹部3人とともに、ロッキード事件初の逮捕者となった。検察関係者によれば、「心に曇りを感じるカネ」と述べ、「丸紅ルート」の中で最も早くしゃべり出したのも、実は大久保だった。大久保の調書をとったのは東京地検の検事、村田恒(61)=現在高松高検検事長=だった。

 「大久保は僕の調べた数万人の中で最高の人格者だった。最初は随分反発もしたが、1回言ったことを絶対に翻さなかった。取り調べにも背筋をいつもピンとして。さすがは元勲の孫。やったことは別として、あんな人間になりたい。私自身で二十数枚、調書を書いた。最初は、外為法だけでいくつもりだったが、趣旨はともかく、カネの引き渡し(贈賄)のアウトラインまで出た。主任検事の吉永(祐介現検事総長)さんもびっくりして、秘密保持のため、最高検にも出せなかった」

 大久保は大久保利通と高橋是清を祖父にもち、もと勤めていた会社の倒産や合併で降格を何回か味わい、丸紅専務になったところで事件に巻き込まれた。

 この大久保の証言がなければ、田中角栄元首相をあそこまで追い込めなかった、という点では検察、弁護側とも見方は一致している。

 しかし、大久保のような例は珍しかった。日本とアメリカにまたがり、多くの関係者が口を閉ざすこの難事件を解明するため、検察と裁判所はいくつかの“異例”に挑戦した。

 コーチャン・元ロッキード社副会長ら贈賄側米国人に対する嘱託尋問自体があまり前例がないなら、その調書を確保するため、彼らを起訴しないことを確約した検事総長らによる「不起訴宣明」も異例だった。さらに、その免責が守られるに違いないと“保証”した「最高裁宣明」もそうである。

 「最高裁宣明」は「最高裁長官の免責保証が得られるまで調書は引き渡せない」という米国の司法当局の求めに応じる形で、7月24日に発表された。最終的に決めたのは、人事などを決める場でもある裁判官会議。当時の長官、藤林益三(87)ら15人の裁判官中13人が出席、「全裁判官が一致して」(宣明書)決めたという。

 だが18年余りがたった今、裁判官会議に加わった判事たちは、必ずしも「宣明」を出したことに納得しているわけではない。