その中の1人は後に「宣明はやり過ぎだった。やるべきじゃなかった。無理しなくても良かった」と、ある官庁の元首脳に話している。

 また、別の判事はこう証言する。「早く出さないと、捜査が止まってかわいそうだと思った。経過説明した長官は積極的で『やっていいかな』というはかり方。大阪高裁長官を東京に異動させる人事と同じで、長官一任という雰囲気になった。『異議のある方は』とは聞かれなかったが、(法律判断ではなく)司法行政だからこれで済むのだろう。見方によっては検察を助けたことになるが、それがいけないなら裁判で争えばいいと思った」。

 さらに別の判事は「あっさり決まったとはいっても、得心ある議論が行われ、初めから『出そう』という方向ではなかった。長官に結論を一任した覚えはない」と少し違った証言をする。

 しかし、この判事も「刑事訴訟法の解釈論では言い分も出てくるだろうが、日本の検察実務では、起訴には検事総長の署名・押印が必要だから(検事総長宣明があれば)事実上、起訴はないと判断した」とするとともに、「結果的に検察側に有利になった」と断言する。長官だった藤林は「他のメンバーが言えばそれで良い」と語るが、平成元年1月の日本経済新聞紙上では、日記をもとに『外国人だとはいえ犯罪の容疑者を見逃す保証をするのだから、さぞ議論があったろう、と想像するかも知れないが、さほど意見は出なかったように思う』と述べ、さほどの意見も出ずに決まったことを明言している。

 当時のマスコミ報道は過熱、公判前から関係者をクロと断定する論調が多かった。田中に懲役五年の求刑が行われたときなど、労組員ら2万3千人は「角栄御用」と書いたちょうちんで田中邸付近をデモするなどヒステリー現象も起きていた。

 そうした“世直しムード”が裁判に影響したかはどうかは、もちろんわからない。だが、当時の捜査・公判に濃厚にかかわった検察首脳経験者はこんな批判をする。

 「検察は、行政機関だから行政に無関心ではいられない。だから、起訴すると著しく国益を損なう場合などは、起訴しない起訴便宜主義をとる。だが、裁判所は司法機関で、こうした巷の情勢に左右されてはいけない。残念ながら、マスコミや国民の熱狂的支持の下では、裁判所は虚心坦懐(たんかい)というわけにはいかなかった」

 ほとんどすべての局面で“敗北”を喫した元全日空会長、若狭得治(80)は嘱託尋問について、「検察側にだけ尋問が許され、弁護側には反対尋問が許されなかったのはアンフェアだ」と今も割り切れない気持ちでいる。調書の証拠採用が最大の争点になっている「丸紅ルート」の最高裁審理について、「最高裁がどういう判断下すか見ています」という。

 同じく丸紅元専務の伊藤宏(67)の場合は、あきらめとも皮肉ともつかない心境でこう語る。

 「裁判官も人間。熱くなっている世論・マスコミに動かされて、先に結論があったことはしようがない」