一方で、各メディアの役割はその分高まったかというと極めて懐疑的にならざるを得ない。テレポリティクスという言葉は使われなくなっても、テレビの役割は全く進化していないと言っていいだろう。いや、むしろ「ポピュリズム」を助長しているとしか思えないのだ。

 とりわけ朝や昼過ぎのワイドショーに大きな問題がある。政治に多くの時間を割くこと自体は問題ない。むしろ好ましいことであろう。しかし、それはあくまで公平公正に扱っている限りにおいて、である。

 特に、一部の局で「モリカケ問題」にほとんどの時間を割いたことに違和感を抱いた視聴者も多かろう。問題の本質がなんなのか、今でもわからない人が多いのではないか。

 国家戦略特区そのものに問題があるのか、決定プロセスに問題があるのか、請託があったのか、国家公務員法に抵触する取引があったのか、国会議員の関与があったのか、地方議員の関与があったのか、一向にわからない。「オトモダチ」優遇が悪いといっても、世の中そんなことはごまんとあるわけで、やはり法的にどのような瑕疵(かし)があるのか明確にするのがメディアの役割だろう。

 それを当事者の言うことを断片的に垂れ流すだけでは視聴者をミスリードするだけでなく、政局すら左右しかねない。本来テレビは慎重の上にも慎重を期すべきだろう。キャラが立つ人物が現れると出しまくり、潮目が変わると一斉に手を引くのがテレビの常套(じょうとう)手段だ。
2017年3月、森友学園の籠池泰典前理事長を単独インタビューし、報道陣に囲まれる著述家の菅野完氏(中央)(宮崎瑞穂撮影)
2017年3月、森友学園の籠池泰典前理事長を単独インタビューし、報道陣に囲まれる著述家の菅野完氏(中央)(宮崎瑞穂撮影)
 一時、渦中の籠池泰典氏に単独インタビューを敢行した著述家の菅野完氏を出しまくっていたのはなんだったのか。また、あれだけワイドショーの常連だったTBS出身のジャーナリスト、山口敬之氏も暴行疑惑が持ち上がってから一切画面から姿を消した。その後の経緯は読者諸氏もご承知の通りだが、検察審査会が不起訴相当の判断を出したにもかかわらず、テレビで顔を見ることはない。全てはご都合主義なのだ。