おバカな「地球市民」と、自分は庶民より利口だと思っている「小市民」は、いまもマスメディアに「公正報道」を求めている。しかし、なにが公正かと問えば、誰も答えられない。いまの日本にあるメディアで、いったいどこが「公正報道」ばかり行っているというのか。NHKと答えたら「それはブラックジョークですか?」と笑われるだろう。

 そもそも現在のマスメディアは、近代国家の成立とともに誕生し、そこではジャーナリズムによって「権力監視」が行われるものとされてきた。「フリーダム・オブ・スピーチ(言論の自由)」と「フリーダム・オブ・プレス(出版の自由)」が保障され、新聞、雑誌、その後に登場したラジオ、テレビがそれを独占してきた。だからこそ、「公正報道」による「権力監視」がジャーナリズムの役割とされてきたのである。
2017年2月、BPOの放送倫理検証委が公表したテレビの選挙報道を巡る意見書。右は記者会見する委員ら=東京都千代田区
2017年2月、BPOの放送倫理検証委が公表したテレビの選挙報道を巡る意見書。右は記者会見する委員ら=東京都千代田区
 しかし、ネット社会の現在は違う。SNSによって誰もが情報発信ができるし、ブログやネットメディアで記事を書ける。要するに、意図しようとしまいと、国民全員が「ジャーナリスト」となってしまったのだから「公正報道」など期待するほうが無理というものだ。

 なにしろ、公正報道を心がけるように教育・訓練されてきたジャーナリストの記事と、取るに足らない自身の意見を書き連ねている「小市民」の記事が同列に並んでしまうのが、ネットメディアである。さらに、そこに最近では「プロ市民」によるプロパガンダ、偽ニュースを拡散するボットなどが登場し、なんでもありの世界になっている。

 つまり、トランプ様のように言いたいことだけ言えばいいのが、この世界の最新ルールだ。そこにおいて、なぜ旧来のマスメディアだけが「公正報道」をしなければならないのか。

 選挙報道において、マスメディアがもっとも尊重してきたのが、テレビの場合、放送法第4条にある「政治的に公平であること」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」だった。この公平の原則はこれまで「量」によって担保されてきた。