ところが韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げ、冷戦終結と時期が重なったソウル五輪を契機に旧東側諸国との関係を一気に改善させた。北朝鮮の後ろ盾だったソ連(90年)、中国(92年)との国交樹立はそのハイライトだ。韓国はその後も経済成長を続け、いまや世界10位前後の経済力を持つ。国際社会での地位も、主要20カ国(G20)の一角に食い込むまでになった。
(iStock)
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 北朝鮮の境遇はまったく違う。韓国との国交樹立に踏み切った中ソ両国との関係が90年代に冷え込んで孤立の度を深めた。なによりソ連や東欧社会主義国の体制が次々と崩壊する中で、自らの体制生き残りを最優先せざるをえない状況に追い込まれた。頼みの綱だった社会主義圏からの援助を失った上、90年代半ばには天候不順にも見舞われて数十万の餓死者を出すほどの食糧危機に見舞われた。その中で体制生き残りのため必死に続けてきたのが核・ミサイル開発だ。もはや韓国と正面から競争する余力など残っていない。

 冷戦期の韓国では北朝鮮の実情を知らせるようなニュースは統制され、人々が持っている北朝鮮イメージは反共教育で教え込まれた「強くて憎むべき敵」だった。前述のように80年代にも大型テロが続いたから、そのイメージには現実味があっただろう。ところが、冷戦終結後に知るようになった北朝鮮の実情は違った。韓国の人々は、それまで抱いていたイメージとは正反対ともいえる「貧しい北朝鮮」像を眼前に突き出された。それを見た韓国の人々が「体制間競争に勝負がついた」と考えるのは当然だ。だからこそ金大中政権(98〜2003年)の太陽政策が受け入れられたのだろう。そして、韓国人の脅威認識はさらに薄れていった。

 脅威認識の逆転は、冷戦終結をはさんだ時間軸だけで起きたのではない。日本と韓国の脅威認識もこの四半世紀の間に逆転した。

 私はソウルで韓国語を学んでいた1989年に夜間防空訓練に出くわした。韓国では当時、北朝鮮からの攻撃に備えた避難訓練が毎月あり、その一環として夜間訓練が行われることがあった。

 夜間訓練では灯火管制が行われる。すべての明かりが消された暗い町でサイレンが鳴り響く。音を正確に覚えているわけではないが、Jアラートのサイレンと同じような感じだったように思う。高台にあった下宿の窓を開けて外を見た私は、心細くなった。時間にしたら10分か15分だったはずなのだが、時間の流れはとても遅かった。