この間、極東の民主主義国家にはすべて女性元首が登場した。韓国(朴槿恵)、台湾(蔡英文)、フィリピン(アロヨ、アキノ)。いずれの国家も、民主主義の歴史は日本よりも短い。にも拘らず、女性議員の量と質においてはこれらの近隣諸国が日本を大きくリードしている。韓台比、いずれも共通するのは下からの市民革命によって民主化を成し遂げたことだ。盧泰愚の韓国、李登輝の台湾、コラソン・アキノの比。80年代以降、市民が実力で独裁と圧政を打倒した。日本にはこれがない。
台北の総統府で行われた「双十節」の式典で演説する蔡英文総統=2017年10月(田中靖人撮影)
台北の総統府で行われた「双十節」の式典で演説する蔡英文総統=2017年10月(田中靖人撮影)
 とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。少女たちは男の言われるがまま「恋愛をした」罰として坊主頭にして謝罪を繰り返す。このような行為は西欧圏ではナチと同等に扱われた。

 ここまでくると男性優位の因果ではなく、独立不羈を志向しない女側にこそ応分の問題があるように思える。良い年をした女性が、不必要に「女性性」を強調し男性視聴者や読者に媚びたり、権威ある上級の男性によるイデオロギーを忠実にトレースする。屈辱だと思わないのだろうか。「こうすることでしか社会で出世できない」というのは敢えて甘えだと言いたい。実力と合格点数がすべての漫画家や作家や医者や弁護士の世界は、既に男性寡占の世界ではない。女性側による「非民主的順応」の卑屈な追従の象徴こそ、昨今の我が国における女性政治家問題の根本だろう。「封建的家父長制」の残滓は、男ではなく女の心中にこそあるのではないか。

文/古谷経衡

●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』など。