報道が重なるにつれ、警察に被害届を出し、「取り下げる気はない」と強硬な姿勢を取り続ける貴ノ岩の師匠・貴乃花親方の対応が少し柔軟性を欠いているのではないかという印象も徐々に広がっている。

 日馬富士の師匠である伊勢ヶ浜親方は、前回の理事長選で貴乃花親方に一票を投じた。いわば貴乃花親方の同志だった。しかし、理事長選に敗れた後は「目も合わせない関係」になったといわれている。

 モンゴル勢と貴乃花親方の関係もこじれているという。巡業先で乗るバスでは、巡業部長である貴乃花親方が座る場所が決まっている。この席に横綱・白鵬が座ったのが発端で、後日、まだ白鵬がバスに乗っていないのを知りながら貴乃花親方がバスを出発させ、今度は白鵬を激怒させたといわれる。その白鵬にはモンゴル国籍のまま一代年寄として相撲協会に残りたい意向があるが、貴乃花親方の反対もあって進展せず、結局白鵬は近い将来の日本国籍取得を希望していると伝えられるようになった。
十両に昇進し、部屋の看板の前でガッツポーズを見せる貴ノ岩(左)。右は師匠の貴乃花親方=2012年5月、東京・中野区の貴乃花部屋
十両に昇進し、部屋の看板の前でガッツポーズを見せる貴ノ岩(左)。右は師匠の貴乃花親方=2012年5月、東京・中野区の貴乃花部屋
 今回もすぐ使われた「隠蔽(いんぺい)体質」という言葉の乱用にも注意が必要ではないだろうか。私は暴力を容認する気はないので、暴力に対して寛大な処置を求める気持ちはない。スポーツ界にはびこるパワーハラスメント体質、体罰だけでなく「言葉の暴力」への認識を改め、一掃する必要は身に染みて感じる。

 だが、一方で、何もかも「隠蔽体質」といった画一的なキーワードで縛り付けるのもまたある種のパワハラ、暴力的な体質のように感じる。

 犯罪を秘匿し、法に触れる行為を共謀して隠蔽するのは当然、断罪されるべきだが、当事者間で和解が成ったことに第三者が首を突っ込む行為は、行きすぎの場合も少なくない。身内が身内に愛を持って更生の機会を与えるのは、ある意味自然なことでもある。古今東西、その人物や社会をいい意味で支え、育てるために古くから存在したことだろう。

 傷害罪は親告罪ではない。たとえ当事者間で和解が成立しても、あるいは被害者が訴えなくても警察は起訴し、罪を問える。一方で、和解が成立すれば、不起訴になる場合も少なくないという。そういう種類の犯罪だ。警察や裁判所でも情状酌量的な判断や措置があり、過ちを犯した人の更生、その後の人生の確保を考慮する。いまのメディアや「世間」は、そうした幅を持たず、断罪を望む傾向が強いようで、少し怖いところがある。