現場の「屈辱感」が編集権の独立を担保する


 朝日の人と話していて、なるほどと思ったのは、今回の場合でいうと、編集部門は僕のコラムを掲載しようとしていたわけです。でも上層部、第三者委員会でいうところだと当時の社長ですよね。経営陣から載せるなと言われて、現場は抵抗したけど最終的に屈服しちゃったわけです。その「屈辱感」を現場の誰しもが持っている。こういうことが二度とあってはいけないという反省みたいなもの。実はそれが「編集権の独立」を担保するのではないかと言っている人がいて、なるほどなと思いましたね。

(瀧誠四郎撮影)
 逆に言えば、今後もし経営者が編集に介入しようとしたら、「第三者を呼ぶんだよ」「オープンにするんだ」という仕組みが朝日にはできたわけですから。これは経営者がうっかり編集に介入しようとすれば、オープンになってしまうと思ったら、それだけで歯止めになる。つまり、会社の体質うんぬんではなくて、歯止めをつけるとか、ブレーキをかける仕組みを朝日はつくったんですよね。

 むろん、代が変わっても、その精神や仕組みが継承されるかどうかという懸念はあるわけですけど。あなた方も新聞記者である以上、自分が書いた記事について正当な理由もなく、上層部から「これはやめろ」と言われたら許せないはずです。屈辱ですよね。やっぱりそれに屈してしまったということは記者人生において、ものすごい汚点だと思うんです。朝日の人たちにとってみれば、今回のことにかかわった一人ひとりの記者人生においての汚点でもある。これからもトラウマになるかもしれませんけど、その反省から二度とそんな失敗はしないっていうことを思うことが大事なんじゃないかな。

 これは他の新聞社の記者からも言われたんですが、「朝日のような対応はうちじゃできない」と。朝日の問題を受けて、ここのところいろんな新聞が訂正を大きくしたり、訂正の内容を分かりやすくしましたよね。そういやこの前、産経さんが朝日の件で江川紹子さんのコメントを無断で使ったことが問題になりました。あの後、産経新聞が記者を処分した経緯の記事がとっても分かりにくいと聞いたんですけど。なんで、どんなことをやったから処分になったかと書いてないんですよね。こんなことになれば、当然産経さんだって批判される側に立つ。

 ましてや、朝日のことを散々叩いてきたわけでしょ。江川さんの件でなぜ処分したかまったく説明がないわけですよ。読者のことをまだ考えてないなと思いますよね。最近、日経新聞の訂正も非常に丁寧になりました。前はただ「訂正します」という言葉だったのに、最近は「お詫びして訂正します」に変わった。そういう意味でも、それぞれの新聞社が襟を正すようになったのは、とても良い事なんじゃないかな。

 もちろん、これはあえてメディアにおける今回の朝日問題のプラス面を言えばですよ。ただ、その一方でマイナス面を言うと、やっぱり新聞に対する不信感が大きい。最初は朝日に対する不信感だったわけですけど、今度はそれをライバル紙である産経さんや読売なんかも激しく叩くわけでしょ。これも読者にしてみると、「本当に真実とか事実を追及するためのものなんだろうか」と思ってしまう。でも、すぐに販売店からチラシが入るわけですよ。「うちの新聞をとりましょう」と。それを見ちゃうと「あれ? 商売のためなんじゃないの」と思ってしまう。たとえ、そういうつもりがなかったとしても、きっと読者はそう思いますよね。

 だから、今回の問題は結果的に新聞業界全体に対する不信感に広がっていったんじゃないかと思っています。朝日が部数を減らしてますけど、はたして読売さんや産経さんは増えてます? そういや毎日新聞は微増だと言ってましたね。減り続けていたのが微増ということは結構増えているということになるのかもしれないけど、たぶん朝日の購読を止めた人の多くがこれを機に新聞購読をやめたんじゃないかと思うんですよね。新聞業界全体が実はマイナスになっていると。そういう危機感を持った方がいいんじゃないかなと思いますね。だからこそ、今回の朝日問題は他の新聞社においても「他山の石」にしてほしいなと思います。