朝日を叩くなら言論を戦わせるべき


 私は昨年、週刊文春に「朝日のことを言えない新聞社やテレビ局だってあるんじゃないんですか?」という記事を書きました。過去には私の連載を突然打ち切った新聞社だってあるわけです。それは編集権の問題だから、私はそれについて誰にもとやかく言ってませんけど、たまたまその新聞社は組織内で鉄の結束があって、社員は誰も外部に漏らさなかった。だから、今まで知られないで来ただけの話でしょ。

 かつて私がいたNHKにおいても、経営が編集に介入するというのはあって、みんなが地団駄を踏んで悔しがったこともあります。そんなことは、いろんなところであるんじゃないですか。週刊誌の広告掲載を拒否した新聞社だって他にもあるのに、朝日新聞が週刊誌の広告掲載を拒否したことだけが、けしからんと書くのは違うんじゃないですかということを言ったわけです。私は「朝日叩き」が悪いとはどこにも書いていない。自分たちだって過去に同じことをやっているのに、朝日だけを叩くというのは違うんじゃないかと思います。

産経新聞に掲載された週刊新潮、週刊文春の広告と、朝日新聞の慰安婦問題に関する特集記事=8月28日
 そういえば、週刊文春は「売国」という言葉を使って朝日の問題を報じましたよね。「売国」っていう言葉は、メディアとして使うべきではないと思います。光文社のフラッシュでは「朝日新聞の社長を国会招致せよ」という見出しをつけた。出版社が政治介入を積極的に求めるってどういうことですか。要はフラッシュの記事をめぐって何かあったときに光文社の社長を国会招致せよって言われたら、どんな気持ちになりますか? そこですよね、私が言いたいのは。だからこそ、言論には言論でやりましょうと常々思うわけです。

 「メディアスクラム」とかよく言われますけど、メディアスクラムが問題になるのは、たとえば事件があった時の、一個人、いわゆる市井の人、一般の人に対してメディアが「ワーっ」と押しかけてやるっていうのは、やっぱり人権問題だと思います。でも、朝日について言えば、メディア界においてそれなりの権威がある。大企業に対しての過熱報道というのは、それはありですよね。ありって言い方は変だな。それについて、とやかく言うことはないんだろうと思いますよ。

 新聞社の場合、そこに販売店が絡んでくるから、またちょっとおかしな話になってくるけど。読者からみれば、結局部数を増やしたいからだろうと見られちゃいますよね。そこでまた編集と経営の分離という観点からみると、経営者から「朝日を叩け、やれやれ」と言われて報道が過熱しているのではないか、と勘繰ってしまいますよね。

 もちろん、新聞社だって民間企業だし、営利企業、株式会社なんだから当然といえば当然なんですけど。その一方で、読者は言論機関、報道機関として新聞をみているわけですよね。そこで疑いを持たれるようなことがあっちゃいけないと思います。

 この問題に関して言えば、元朝日記者の植村隆さんがひどい個人攻撃を受けてしまった。そこら辺の経緯は私も良く分からないからコメントできないですけど、ただ植村さんが最初は神戸かなんかの大学の先生に決まっていたでしょ。あの時、週刊文春がそれを暴露した。あれはやりすぎだと私は思いましたね。こんなやつをとってもいいのか、この大学への抗議をみんなでやろうと、あたかも煽ったかのように思えますよ。

 これについては週刊文春の責任が大きいと思います。植村さんが誤報したのだとしたら、それを追及されるのは当たり前ですが、だからといってその人の第二の就職先はここだと暴露する必要があるのか。それが結局、個人攻撃になっていったり、娘さんの写真がさらされたりみたいなことになっていっちゃうわけでしょ。ものすごくエスカレートする。逆に言えば、産経さんはこの件に一切関与していないにもかかわらず、なんとなく植村さんへの個人攻撃から娘さんの写真をさらすことまで、全部ひっくるめて朝日をバッシングしているのが、産経さんであるかのようにみられてませんか? 産経さんの誰かが書いていましたよね。うちはちゃんと分けているのに、全部ひっくるめて批判するのはおかしいって。そんな風になってしまったのは、これまた不幸なことだと思いますね。