性は厄介なものでもある。わがこととして意識できても、自分の肉親や祖父母など、身近な高齢者の恋愛を寛容に受け入れるのは難しい。

 高齢世代で恋愛や性を楽しむ「老いらく」ならぬ「老い楽」を楽しむ人々には「余裕」があるように思われたのも、私が取材の中で実感したひとつである。高齢者福祉施設における恋愛や性もあるが、一般生活をしている方々で、と特定づけるならば、以下の4つの要素に分類できるか。

① 配偶者であれ配偶者以外であれ、老いの時間を共に歩む相手がいること
② 具合の悪いところは多少あっても、基本的には健康であること
③ 大金はなくとも、年金や預貯金がそれなりにあり、自由に使えるお金があること
④ 日常生活において大きな悩みごとがなく、自由な時間に恵まれていること

 個人差あるが、これらが四位一体となって結びつき、いずれかが欠ければ思うように成立しないようものの、中でも④は、①から③より重要に感じられる。子や孫が借金を背負い、また、子や孫が犯罪者となるなどで、老後の計画がめちゃくちゃになった人は恋愛どころではない話も私は取材で聞いた。

 持ち家があり、子どもたちも独立し、親の遺産もあり、退職金はじめ年金等による定期的な収入があり、といった余裕があるからこそ、恋愛や性にも関心が向くのかもしれない。携帯電話、パソコンといったツールの普及も、恋愛や性を強く後押ししている。⑤を加えるならば、「携帯電話、パソコンといったIT機器を活用していること」になろうか。

 親のどちらかが死亡し、残された親に対して、「入籍さえしなければ」の条件で息子や娘が恋愛を公認するケースも最近はよく聞く話である。

 親孝行に見えるが、これは「引きこもりになって、認知症が急激に進行し、肉体的機能も落ちて要介護になられては困る。恋愛を楽しんで元気よく長生きしてもらえたら」の意図がある。高齢世代の恋愛と性は、単なる肉体のつながりだけではない点も見いだせる。無縁社会が社会問題化する中、人と人との「縁」を結ぶものでもある。

 都会、地方問わず、孤独死が社会問題として深刻視されている。50代以下の若年の孤独死もあるが、その多くは高齢者だ。

 私は高齢者の孤独死のニュースに接するたびに、「高齢者の恋愛や性こそ孤独死を予防するセーフティーネット(安全網)、抑止力になり得るのではないか」と考えさせられてきた。夫婦ではない関係で考えれば、互いの住居の行き来は、周囲の目を意識する場合もあるにせよ、恋人がやって来る特別な場所だけに整理整頓、掃除を心掛ける。必然的に、住居のゴミ屋敷化を防ぐ力になる。それ以前に、携帯電話やパソコンで随時、連絡を取り合うのは安否確認にもなっている。