一方で、競馬の穴馬に関しての逸話がある。作之助が東京へ赴き、府中の競馬場へ行こうとする前夜、友人がつまずきそうになったのを見て、作之助は「ええねんで! 明日は大穴、疑いなし! 馬の代わりにつまずいたんやから」とはしゃいでいたので(青山光二『青春の賭け』)、予想外の大穴を獲る欲望が強かったことが分かる。

 競馬に病み付きとなり、研究熱心だった作之助は、ついには競馬の予想記事を当時記者をしていた夕刊大阪新聞に書いたこともあった。

 京都の競馬場で藤沢から、馬主でもあった菊池寛に紹介されており、菊池の「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、たしかなる穴を取る」との競馬哲学を作之助は知っていたのではないか。リアリティーとロマンをいずれも追い求める競馬観は、作之助の文学にも通じるところがある。俗衆の脚下の生活を直視した小説を書きながら、さらに虚構性や偶然性を盛り込むことで大ロマン、人間の可能性を描きたいとの文学論を「可能性の文学」で展開している。

 そして戦中の競馬経験を熟成させて、終戦の翌年に短編小説『競馬』を発表した。競馬への投資を無駄にしなかったあたり、さすがである。主人公は亡き妻、一枝(小説では一代)をしのび1の馬券をいちずに買い続けて、ついに最終レースで夢みた大穴を当て、妻の昔の男と抱き合って感涙する哀傷の物語である。
(iStock)
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 なお、学生時代にこの『競馬』を読んで競馬に興味を持ったのが、詩人の寺山修司である。彼は『さかさま文学史黒髪篇』で、「劇作を志し、競馬にあけくれていた青春時代、持病の悩み―。ただ一つちがっていたことは、織田が一枝という生涯に、たった一人だけ愛することのできた女をもっていたことである」と2人の愛に憧憬の念を表している。

いわさ・よしや 会社顧問、オダサク倶楽部メンバー、酒詩歌研究家。昭和13年、三重県鈴鹿市生まれ。大阪外国語大学卒業。広告代理店などへの勤務を経て現職。著書に『第三欲望市場の発見』(ダイヤモンド社)、『酒読み』『東京府のマボロシ』(ともに共著、社会評論社)など。