しびれを切らした信長は、とうとう着物を脱いで脇差しを口にくわえ、自ら水中に入っていった。しばらく潜ったあとあがってきた信長は、「なかなかに大蛇らしき物はおらぬわ」と言うと、さらに念のため泳ぎの達人(この男の名、鵜左衛門という。いかにも水泳名人らしい)にも潜って探させたが発見できず、清洲城へと引き揚げていった。
蛇池の記述(『尾張名所図会』後編巻三より、国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
蛇池の記述(『尾張名所図会』後編巻三より、国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
 単純なバカ騒ぎのようではあるが、これが正月下旬の、池の水も凍るような厳寒のなかでおこなわれているのだから尋常ではない。下手をすると死者まで出るのではと思われるほどで、しかも信長自身が命の危険をかえりみずに池水に潜っているのだ。

 さてこの一件、果たして信長は好奇心だけで命知らずなおこないをしでかしたのだろうか?答えはNOだろう。

 蛇池の正式名称である「あまが池」は「雨が池」と考えてよい。調整池として庄内川が大雨で氾濫すればその水を受け止めて周囲の損害を防ぎ、渇水時にはこの池で雨乞いをおこなったと思われる。雨といえば前回紹介した蛇体の「宇賀神」は水の神である弁才天女とセットにされていたが、本来は穀霊(こくれい)神だったという。穀物の豊穣(ほうじょう)には水のコントロールが欠かせない。そして、『常陸国風土記』に記されている夜刀神(やとのかみ)を代表的な例として、愛知県より東では古くから蛇神は稲作に欠かせない潅漑(かんがい)・水利の無事を守るものとして信仰されてきた。

 つまり、信長が傾倒していた蛇・龍、雨乞いがセットになっていた場所こそが「あまが池」なのである。
          
 本連載第2回では幼い信長が那古野城内の天王坊安養寺に通い「祭神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)がヤマタノオロチを倒しその体内から草薙剣(クサナギノツルギ)を得た=オロチの力をわが物とした」という神話に親しく触れていた、と紹介したが、その信長が実際に大蛇(オロチ)が身近にいるかもしれない、と思ったとき、素戔嗚尊の故事にもとづき自分も大蛇の力を獲得して水を支配する力を得られるではないか、という考えに至ったのは自然な流れだったろう。ところが実際の信長は池の水の掻い出しすら思った通りにできない素の人間のままで終わってしまった、というオチでこの話は終わるのであるが。