医師数が10万人あたり152・8人と最少の埼玉県を例に考えましょう。確かに、最大の京都府(307・9人)と比べて、国公立大学の数(実質私立のみ)、人口動態(東京都から埼玉県へ定年退職に伴う移動)、自治体の面積、経済状況など本当に必要な医師数を求めるためのパラメーターがあまりにも異なります。また、地域によっては近隣の東京、群馬、栃木の医療にある意味「おんぶに抱っこ」だった埼玉の医療状況が県単位でまとめられるかは疑問です。
(iStock)
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 聖路加国際大学の福井次矢(つぐや)学長は「都道府県が効果的な医師派遣に向けて大学と話し合うとされているが、(大学の)『持ち駒』がなく、実効性がない」と分科会で現在の大学の力の無さを指摘されていますが、当然でしょう。今でも大学医師のほとんどが過剰労働なのに、地方の大学がどれだけの医師を僻地に派遣できるのでしょうか。

 ところが、厚労省医政局は「地域枠の卒業生が今後増加していくし、それ以外の卒業生も合わせ、ほとんど機能していなかった地域医療支援センターを強化していくことで対応できる」と説明しています。今まで医学部の定員を増やしても変わらなかったのに、改善できるという根拠がよくわかりません。結局、若い医師を半強制的に総合臨床医にして僻地に派遣することでやっと改善するというのでしょうか。

 若手医師が地方に行きたくないのは、東京などの都会に比べて、希望する内容の仕事ができなかったり、労働環境や専門医としてのスキル獲得などに不安があるからです。ましてその地方の中でもさらなる僻地です。一般の人間がそこに住む自由を認めながら、医師がそこに住まない自由を認めないのはどうしても納得できません。

 この分科会の出席者で、僻地勤務は「医師が少なくても学びが多く、医師としての充実感が得られる」と述べている方がいますが、それは臨床の現場から離れた価値観でしかないでしょう。仕事内容や労働環境の改善、キャリアパスなどの障害の除去、インセンティブを確定する前に、時代遅れな個人の価値観を押し付けて派遣される若い医師は厚労省や有識者の奴隷ではありません。

 実際、若手医師の活用が少し成功している地域では、地域医療を続ける方策として「医師への教育の提供」を第一に挙げています。ボランティアで一生懸命教えてくれる人がいて、その教育環境が良ければ、自分から若い先生は飛び込んできます。それを医療行政に素人の地方自治体を船頭に、根拠の乏しいデータをもとに見切り発車し、失敗しても財源などのフォローがないのではまさに若手医師が「無駄死」するだけです。

 医療に対する行政側の知識のなさは、病院人事に介入して医師が逃げ出した例が複数の地域であることで明らかです。こんな自治体トップがいる病院に行って若い医師が学問を遂行できないのはまさに戦力の無駄です。