全国的な印象が著しく悪化した田中角栄が、ロッキード事件の渦中でもなお当選し続けたのは、地元新潟の「越山会」をはじめとする強力な土着組織が健在だったからだ。これと同じように、全国の保守層から愛想をつかされたとはいえ、地元・地盤を確保する稲田には再起のチャンスはいくらでもある。問題は稲田がその財産を上手く活用し、「復活」への一里塚として良い意味で利用できるか否かである。
片手を上げる普段のポーズで東京地検に入る田中角栄元首相=昭和51年7月27日(広沢淳夫撮影)
片手を上げる普段のポーズで東京地検に入る田中角栄元首相=昭和51年7月27日(広沢淳夫撮影)
 5選した稲田は現在、「南京戦の真実を追求する会」など、保守系集会で南京大虐殺否定の運動に加わっている。これ自体は「南京事件」の原告側弁護人がそもそもの世論の耳目を集める稲田の出発点でありライフワークなのだから、「通常運転」と映る。

 しかし、私から言えば、稲田は弁護士で代議員ではあるが、歴史の専門家ではない。1937年の南京攻略戦の折、日本軍がどれだけの中国側非戦闘員を殺したのか、また殺さなかったのか、という議論は、近代史研究家によって目下論争中である。

 特に歴史学者の秦郁彦による研究はきわめて有力なものであり、(中国側の主張はともかく)近年、いわゆる「南京事件」の歴史評価は固まりつつある。そうした史学研究の進展の中で、ほとんど素人に近い稲田がしゃしゃり出てくるのは、実を言えばもはやあまり意味はない。「南京事件」は歴史学者の研究に任せられるべきであり、「30を過ぎてから政治や歴史に開眼した」と自著で語る稲田が出る余地は、残念ながらない。

 つまり稲田は法曹界ではいっぱしのプロだが、史学ではまったくの素人である、ということだ。今後、稲田が「復活」するためには、こういったいかにも「保守受け」する集会に頻繁に顔を出してオピニオンを言うよりも、自分の専門領域、つまり弁護士としての法曹分野での活躍が期待される。