歴史からみると、そもそも韓国という国家の存在が、通例ではない。中国・大陸の勢力と隣接しない朝鮮半島の政権が存在するのは、実に史上、三国時代以来の事態である。とくに19世紀以降、近代になってからは初、ほとんど実験的な事態といってよい。

 しかもそれは、すでに還暦を過ごした。近現代史において最長であって、あるいは最も安定した体制だといえなくもない。

 その安定はもちろん、対峙する南北の政権、およびそれぞれを支持する大陸側と海洋側の勢力均衡によってきた。逆にいえば、最近の危機は、その均衡が揺らいだところに醸成されている。中国の大国化、換言すればアメリカの相対的な弱体化、およびそれに呼応するかのような北朝鮮の核・ミサイル開発が、その主因にほかならない。

 こうした半島政権と大陸・海洋との関係を、あらためて歴史からみなおしてみよう。朝鮮王朝時代には、大陸側には「事大」、海洋側とは「交隣」という関係をとりむすんでいた。事大とは「大国に事(つか)える」こと、陸続きの中国への朝貢関係をいい、交隣は「隣国と交わる」こと、海を隔てた日本との交際をいう。
 こう並べると、まったく別個の応対だったようにもみえるかもしれない。手続きは確かにそうである。しかし主体たる朝鮮王朝の意識・立場は、唯一無二だった。信奉する朱子学の華夷意識に裏づけられた「小中華」意識がそれである。

 朝鮮王朝は軍事的には弱体であった。朱子学は文を尊び武を卑しむから、これもイデオロギーに合致した体制である。

 また何より中華の尊重が優先したから、それを体現する中国王朝にも、恭順な態度を示さなくてはならない。大陸には軍事的にもかなわないので、適切な対処である。それと同時に、中華を尊び慕うあまり、自らも中華に近づこうとする自意識になり、「東方礼義の国」を自任した。

 だとすれば、「隣国と交わる」交隣は、自らがミニ「中華」である以上、その交わり方がいかなるものであれ、相手を「夷」と蔑むものとならざるをえない。朝鮮王朝は日本や西洋など、海を隔てた国々と対等な交際をおこなった。けれどもその根柢には、濃厚な侮蔑が横たわっている。「小中華」意識のなせるわざであった。

 同じことは、元来が「夷」だった満洲人の清朝に対してもいえる。清朝は中華王朝の明朝を後継し、しかも軍事力で優位にあったため、朝鮮王朝は「事大」の関係を続けた。しかし心底では、清朝を「中華」と認めていない。いわば面従腹背だったのである。

 半島の政権はこのように同一の歴史的なメンタリティ・性格を有しながら、地政学的に大陸向けと海洋向けとの、相反する関係をもっていた。そうした相反性が近代の国際政治を通じて、南北の分断に至ったわけである。