彼が本気で正義の執行だと信じて行った所業であるのか、それとも自己否定をこじらせた末の破壊衝動を理由付けするために障害者を利用したのかは、彼のみが知るところでしょう。
献花台が設けられた「津久井やまゆり園」正門で目頭を押さえる女性=2016年8月、相模原市(三尾郁恵撮影)
献花台が設けられた「津久井やまゆり園」正門で目頭を押さえる女性=2016年8月、相模原市(三尾郁恵撮影)
 いずれにせよ彼の主張が正しいとしたなら、人類そのものを抹殺しなければなりません。障害者がこの世に存在しているという事実が、人類の存在を肯定している、たった一つの証しであるというのに、人のなんたるかを指し示す根源の指標であるというのに。彼は自らの存在理由を、存在意義を、存在価値を、真っ向から否定してしまったのです。

 1859年にイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンによって『種の起源』が出版されました。彼の提唱した「自然選択による進化」の概念は、彼のいとこフランシス・ゴルトンをして「優生学」を構築するに至りました。彼は、社会的弱者には遺伝的欠陥があり、その生存および生殖の継続を社会が容認することは、人類に対して本来起こるべき自然淘汰(とうた)をゆがめ、進化を妨げていると主張しました。現在においても「進化」に関して、見解の統一はなされておらず、外的誘因、内的原因、偶発的要因、さまざまに入り乱れた複雑系であろうと思われます。

 ダーウィンの進化論は、遺伝子の分子的な理解もない時代の理論ですので「進化」の「とある一面」を示唆したに過ぎません。例えるなら、幼児教育に用いる「積み木ブロック」のレベルです。

 ゴルトンの誤りは、「生物種の環境適応」と「社会の繁栄」とを混同してしまったことです。しかし彼と同じように完璧であることを夢見た者たちによって「優生思想」は世界中に広がりを見せました。家畜と同様に人類にも品種改良が必要と唱える者たちさえ現れました。

 最も過激な事例としてアドルフ・ヒトラー率いる「国家社会主義ドイツ労働者党」通称ナチス・ドイツが行った「T4作戦(障害者抹殺)」および「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)」があります。ヒトラーの主張は、「アーリア系ドイツ民族こそが最も優秀な民族であり、支配者として純血を保持し、劣化の原因となる劣等分子は駆逐しなければならない」というものです。私の感覚からすると、病的な強迫観念を持つ人物の発想に思えるのですが、皆さんはどう思いますか。

 社会の繁栄をなし遂げて維持しようと欲するのであれば、まずはその社会が信用と信頼とで満たされて、好循環を醸成するように「利他」の精神を養うものでなければ、到底実現できるものではないでしょう。

 しかし、選民思想は「利己」を根源として咲くあだ花なので、逆行こそすれ繁栄の礎となり得る道理がないのです。白熱した身を幾度も打たれて、鋼は強靭(きょうじん)さを備えるのです。