西郷が語った言葉は、「情」と「知」の関係でいえば、西郷は類まれなる破壊者であるということだ。そして大久保は建設者だった。壊すには、確かに感情を動機にしたほうがパワーが大きい。しかし、建設は感情一辺倒では駄目だ。現実をよく見極めて、着実に、一歩一歩事を為していかなければならない。その意味では、西郷はどちらかといえば、遠くのほうを見るロマンチストであり、いってみれば、詩人的な要素があった。だから、時には大きく挫折する。あるいはせっかく積み上げた石の山を、自分から全部崩してしまうこともある。つまり、ゼロに戻ってしまう。しかし西郷の場合は、だからといって落ち込むこともなく、人を恨むこともなく、

「すべて、天の命ずるところなのだ。まだ、俺は人事を尽くしていないのかもしれない」

と反省して、新しい勇気を湧き起こした。大久保はそこへいくと、一歩一歩現実を見ながら着実に歩いていくタイプだ。明治維新後、大久保を知る多くの人たちがこういうことを言っている。

「西郷さんには、遠大なロマンがあったが、大久保さんにはそれがない。西郷さんは大きな夢を示す。大久保さんは、今日一日か、せいぜい明日あたりを目標にして、事を考える。決定的に違った」

 もう一つの違いは、組織に生きる人間は、大きく分けて「組織を重視する人間」と「人間関係を重視する人間」とに分かれる。

 つまり、難しい言葉を使えば「組織の論理を重視する」か、「人間の論理を重視する」かに分かれる。西郷隆盛は人間を重視した。そこへいくと大久保利通は、組織を重視した。特に組織の持つパワー、すなわち権力を重視した。西郷の場合は、

「組織の論理も、人間の論理によって突破することができる」

と考えた。大久保は反対に、

「組織の論理は強固で、個人の力では突破できない」

と考えた。このあたりが、決定的に違う。
鹿児島 大久保利通像=2011年1月14日(岡田亮二撮影)
鹿児島 大久保利通像=2011年1月14日(岡田亮二撮影)
 たとえば、西郷隆盛が仕事を進めるうえで、最も有力な方法として展開したのは、人間のネットワークをつくることである。それは、普通にいう閥のことではない。もっと、高い志によって、薩摩藩だけでなく、多くの藩や、場合によっては徳川家内部にも、自分と共鳴し、一緒に事を進めていく仲間づくりに勤んだことである。また、彼は世の中に、3とおりの人間をしつらえた。3とおりの人間とは、

・学べる人間(師)
・語れる人間(友)
・学ばせる人間(後輩・部下)

のことである。