とにかく朝鮮半島に関わるとなぜか、日本にとってよくないことが起きる。天皇家も、戦国三英傑も維新十傑だろうと関係がない。誰より不幸になったのは朝鮮半島両国にとって「恨」の象徴的人物となった賤ヶ岳七本槍である。知る人ぞ知る日蓮宗で件の学界でも特別扱いされるが、なによりどこよりNHKの朝鮮半島への「忖度」から大河ドラマの主人公に抜擢できない裏事情を抱えた「加藤清正」であることは疑う余地がこれっぽっちもない。

 それにしても今年の大河ドラマ『西郷どん』はよくない。
 「西南戦争」に際して熊本鎮台こそが西郷軍の北上を阻んだ要衝であり、両軍の戦闘で熊本城の美しい外壁は大砲で穴だらけになった。熊本城内にはその当時の写真が残っている。少年時代、それを見ただけで涙がでそうになった。私の中に流れる肥後もっこすの血が勇敢に戦い傷ついた熊本城の姿に清正公を重ねて涙した。そして、戦後美しく修復され郷土の誇りとなってきた熊本城が震災で見るも無惨な姿になったという事実が震災被害の現実さえ凌駕する熊本県民共通の「喪失感」と「心の痛み」だ。

 熊本県民が西郷や薩摩藩を快く思っていないのは父もそうだったからよく分かる。なにしろ九州で一番特殊な事情を抱えた藩であり、一時期は九州統一の一歩手前まで行ったが、羽柴秀長率いる織田家縁の征伐隊に敗れて以来、薩摩に封じ込められたのだから。
 
 戦国時代、九州地方は大友、龍造寺、島津の抗争に翻弄(ほんろう)された。一段落付いて九州征伐での功績により、最初の領主となった佐々成正は検地をめぐって対立し、国人一揆を招いて秀吉から切腹に追い込まれた。かわって領主となったのが加藤清正だ。清正公の時代には先の「唐入り」における軍費捻出などで領民たちは苦しんだ。それでも、加藤家改易により細川家の長い統治時代を経てもなお、郷土の英雄として清正公を讃える気風が残った。
熊本市にある加藤清正像
熊本市にある加藤清正像

 やはり薩摩隼人たちは西郷を敗走させた熊本を憎んでいる。島津封じのため、肥後に配された清正公を憎んでいる。震災にかこつけてまだ苦しめる気かと言いたくなる。西郷と加藤清正という因縁。大河ドラマでその活躍を讃えられる英傑と、朝鮮半島への忖度という事情で絶対に主人公になれないのが清正公である。

 どの道、『西郷どん』の脚本家は西郷という人物の実像に迫る気はないだろう。山縣有朋が実際に引き起こした一大疑獄事件である「山城屋事件」にさえ触れるつもりがないだろう。汚職と女に走る元長州藩士たちに西郷たちがあきれ果て、江藤新平や後藤象二郎たち、薩長土肥の「長」以外が大久保を除き新政府から次第に除外されていった過程は、結局明治維新の目的が長州山口県をもって徳川家にとって変わる謀略だったという事実以外の何者でもない。現職の安倍総理も含め、総理経験者が異常に山口県という狭い地域に偏っているのがなによりの証拠だ。

 かつて司馬遼太郎の『翔ぶが如く』が原作として採用されても、それが下敷きにさえならなかった。「明治維新は間違いだった」という容易に想像される西郷の言葉をかき消すためならば事実も真実も闇に葬る。それもこれも革命を正当化する手段で、左派の巣窟である日教組が「戦争反対」を唱えつつ、敗戦への道をひた走った大日本帝国の歴史を正当化する矛盾を騙(かた)り、戦後昭和天皇と今上天皇に頭を下げさせまくる事態にした。そんな現代において「維新の会」が赤色革命とは真逆の政治思想を持つのは皮肉としか言いようがない。