そもそも西郷のとった方針が日本をアジア唯一の「列強」にした。そして、最終的にその道が誤りだったと気付いても取り返しがつかない所まで行ってしまった。ただ、この国の列島国家を守るがために朝鮮半島、果ては満州国に到るまで緩衝地帯を積み上げた。中華思想に毒されて、どこもかしこも日本にしたかったからでなく、一度は退けた「列強」ロシアの脅威から少しでも遠ざかりたかったからだ。

 西郷は幕末、実際に何度も死のうと試み、維新後、元勲と称して偉そうにしている連中を尻目に、あばら屋に書生だけを置いて一張羅裸同然で過ごしつつも向学心を欠かさず、郷里で「人を創る」ことに生涯を捧げようとした。そんな西郷の生き様を危険視し、「逆賊」として命を取らねば済まない状況に追い込んだのは明治政府だ。

 西郷の持つ本当の魅力は上野の西郷像でしかイメージできない貧困な想像力だけでは表現しきれない。最大の士族反乱にして国内で発生した史上最後の「内戦」の指導者だった西郷。明治帝を愛し、明治帝に愛された「逆賊」である。無理に言葉にしてしまえば、矛盾だらけの存在が西郷である。

 こうした西郷を今の日本人が真に評価できるだろうか。言葉や人物評が一人歩きして実像がぼやけ、それぞれの勝手なイメージだけが良くも悪くも勝手気ままに語られる。いい年こいた書生気質、多分に自分にもそういう資質があるがゆえに、私はいまだにこの人物への評価をくだせずにいる。永久に無理だろうと思う。

 ある意味、『真田丸』は戦国武将の持つダークサイドやタブーさえも丹念かつ魅力的に描いていた。秀吉と家康という二人の英傑さえ翻弄した「謀将」真田安房守昌幸と、翻弄され続けた信繁(幸村)・信幸(信之)兄弟を描くことで「どんなチャンスでもものにして少しでも上にのし上がろうという野心」、「個人として武名を讃えられる生き様」、「家の存続のため、父や弟を敵に回す愚直さ」という三者三様の生き様を通じて戦国期における「家」の意味を脚本家、三谷幸喜が丹念に描ききっていた。その努力も空しく、『西郷どん』はキャストに左右されるだけのくだらない内容に終わるとみている。