須田は、土井さんに投与した薬が、直接の死因ではないと言いたいようだ。実際、安楽死を意図していたのであれば、鎮静剤さえ使用していなかっただろう。これについて、須田は、著書の中で、特徴的な持論を述べている。

〈もうじき亡くなるとわかっていながら、(中略)最後の最後まで、やれることはすべてやるというのが医療者なのです。どうせ死ぬのだからそんなことする必要はないじゃないか、というようには考えないのです〉

 私に質問の隙を与えず、須田は続けた。

「薬を使ってストンと逝かせるのは殺人です。でも例えば鎮静剤を打って、薬が効いていったら息が止まった。それが思わぬ早さだった、といって殺人にはならないと思います」

 筋弛緩剤でなければ、彼女は逮捕されることも起訴されることもなかったに違いない。苦痛を和らげ、延命治療中止の延長線上の処置を行い、土井さんは永眠した。家族は、須田に「お世話になりました」と会釈をし、納得のいく死亡診断書も受け、この件は終わったはずだった。だが、4年という年月を経て、この出来事は「事件化」した。それは、病院内部の事情に詳しい、ある医師が、マスコミにリークしたことが発端だった。

◆「けっして笑顔を見せないように」

 組織力に定評のある日本でも、情報漏洩や内部告発は多発する。そこには、「個」を表現し難い、日本特有の国民性が関係していることもあろう。「個人の生や死」を自己決定できないことも、善悪は別として、間接的にそうした国民性と繋がっていると思う。

 リーク情報は、すぐさま大手各紙を賑わせ、週刊誌は「殺人医師」と書き立てた。2002年12月26日に横浜地検は殺人罪で起訴。翌年の3月27日から横浜地裁で公判が始まった。

 最終的に「呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した」として、須田に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

 植物状態だった土井さんの命が残りわずかだったと予測される中、須田が気管内チューブを外し、想定外の反応を見せた患者に鎮静剤を打ち、最後に彼女自身が筋弛緩剤を投与したという事実を、詳細に説明する機会は訪れなかった。呼吸器内科のベテラン部長だった須田によると、土井さんを安らかに眠らせるため、家族とは事前に相談済みだったという。それは、気管内チューブ抜管の承諾だった。

 だが、裁判官は、須田が家族に「九分九厘、植物状態だった」と言ったことに対し、「衝撃的で不正確な説明」、「配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた」と押し切った。だが、須田に反論の余地はない。当時の弁護士は、須田に口を酸っぱくして言った。

「被告人なのだから神妙にしていてください。けっして笑顔を見せたりしないように」